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木材・紙・バルプ

RH輝北プレスウッド(株)

会員者情報

企業名 輝北プレスウッド株式会社
所在地 曽於郡輝北町下百引3185-1
電話 0994-86-1552
名前 代表取締役社長 徳留 弘孝 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2005,8月号掲載)

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輝北プレスウッド株式会社の設立は平成6年。親会社は鹿屋市に本社を置く建築会社の丸栄建設株式会社で、徳留社長は同社の取締役会長も務めている。大阪の呉服店で2年間の修行後に帰郷した徳留社長は、鹿屋市で衣料品の販売を開始、昭和44年に株式会社丸栄を設立した。衣料品販売が順調に伸びる中で、新たな事業展開について検討した結果が建築業であった。昭和52年に建築業許可を取得、社名を現在の丸栄建設に変更した。もともと建築については素人であったため、日本各地に出向き各種建材について勉強しながら、自ら軽トラックで受注確保に走り回った。昭和50年代は、建築業の成長期であったこともあり、初年度5、500万円、2年目1億2千万円と売り上げが倍増、4年目にはAランクの業者と肩を並べるまでに急成長した。以降、同社では、住宅やマンション建設を県下一円で展開し、現在の年間売上高は約25億円となっている。
  
 次に、輝北プレスウッド設立のきっかけである。もともと山と木が好きな徳留社長は、戦後植樹され伐採時期を迎えているにもかかわらず輸入外材に押されて山に放置されている杉を有効利用できないか、常々考えていた。このような中で東京の「市浦都市開発コンサルタント」の小林社長に出会い、同社長が考案した「RH構法」の実用化に協力して取り組むことになった。RH構法とは、柱・梁部材に大断面の集成材やLVL(構造用単板積層材)を使用し、柱・梁の接合部に穿孔して異形鉄筋を挿入したうえで接着剤を孔の空隙に充填、硬化させることによって剛接合する構法である。これまでの木造建築の課題となっていた構造強度、耐火性、品質安定性などを大断面構造用木材を用いることで解決するとともに、接合部を剛接合することで、耐力壁や筋違いのないシンプルで自由な建築空間を作り出すことが可能になり、継ぎ手の金物が見えないので見た目も美しい、などの優れた構法である。両者の共同研究の結果、平成4年に世界で初めて実用化に成功した。

 共同研究の過程で徳留社長はLVLに強い関心を持ち、実用化が進んでいたヨーロッパの生産ラインの視察に出かけた。LVLは長さ1㍍の単材にカットした材料を厚さ3㍉のラミナ(薄板)に桂剥きにしたものを、繊維方向を互いに平行にして積層接着して厚さ30~50㍉の単板に加工したものである。RH構法では、この単板を二次接着して更に任意のサイズに加工した構造用LVLを使用することになる。木材の太さや曲がりなどに関係なく、製材に比べて数倍の歩留まりが望めることから国産杉の有効利用に役立つと直感した徳留社長は、丸栄建設の社長を息子に譲り、平成6年に輝北プレスウッドを設立した。同社では、RH構法の加工・販売を手がけるとともに、杉のLVLの試作品を作り、県工業技術センターの協力を得て材料実験、強度試験を重ねてデータを

収集した。このデータをもとに建設省(現国土交通省)や農林水産省に働きかけた結果、平成11年に構造用LVLのJAS規定の規格見直しが実現し、杉の構造材としての用途が大きく拡大することになった。

 現在、輝北プレスウッドでは、構造用LVLについては断面2.4㍍×1.2㍍、長さ12㍍まで加工でき、これをつなぎ合わせることで約60㍍スパンの建物を建設したことがある。また、大断面構造用集成材については、断面25㌢×1.8㍍、長さ24㍍まで加工できる。これらの材を使用したRH構法により、県内では加治木町や川内市の公営住宅、川辺町の道の駅、知名町立武道館など、県外では神戸市営住宅、広島県のウッドアリーナ、熊本県の相良北小学校などが建設されている。
       
 徳留社長と海外との関わりであるが、17年前、衣料品店で販売する毛皮製品を中国から輸入したのが始まりである。その後、建築部門が急速に拡大する中で、建材やインテリアなど住宅関連製品の占めるウェイトが高くなってきた。丸栄建設本社敷地内にある「まるこみプラザ」では、1階に床材・壁材・ドアの展示場や照明器具、カーテンなどが、2階にインテリアや生活雑貨、絵画などが展示されているが、その多くは中国、東南アジア、ヨーロッパなどからの輸入品であり、県内では類を見ない豊富な品揃えとなっている。また、今年3月には、当貿易協会の呼びかけに応え、上海の「華東交易会」にRH構法の模型や集成材の見本を出展し、中国はもとより旧ソ連邦、ヨーロッパ、中東などの国々のバイヤーからも高い関心を集めた。その後、中国からは技術提携や取引を求める企業等が同社を訪問しており、長年の取引を通じて中国の建材や住宅事情に精通している徳留社長は、どのような形で杉などの国産材を輸出したらいいか、検討しているところである。
            
 徳留社長は、丸栄建設グループの約100名の社員に対し、常々「成功の源は夢である」と呼び掛けている。「夢を持つことのできない人間は、夢(住宅などの商品)を売ることはできない」という考え方である。今年また、徳留社長の新たな夢への挑戦がスタートした。農業生産法人を設立、15㌶の農地に焼酎原料のサツマイモを栽培し、今秋、初収穫を迎える。

(有)山田銘木店

会員者情報

企業名 有限会社山田銘木店
所在地 鹿児島市東開町8-9
電話 099-269-1239
名前 代表取締役 山田 賢一 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2004,10月号掲載)

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(有)山田銘木店は鹿児島市の木材商業団地にあり、昭和44年に山田社長の父親である勝賢氏が創業、49年に有限会社となった。勝賢氏は戦前の台湾で生まれたが、終戦により鹿児島に引き上げてきた。行商や雑貨店の経営などを経て、35歳の頃に銘木店を開業し、屋久杉製の欄間の製造・販売や、知り合いの職人が製作した木工製品の販売を行うようになった。
 
 事業が軌道に乗る中で、勝賢氏は台湾からの欄間の輸入を考えるようになる。我が国では、昭和30年代後半以降の住宅建設増加に伴ない欄間の需要が増大する一方、供給側として、労働力不足、特に手工業的な欄間業界では職人の確保が難しく、需要に追いつかないという事態となった。このような背景のもとに、台湾檜や台湾杉という良質の材に着目した大阪の一業者が現地の木材工芸業者を指導して作らせたのが、台湾欄間の始まりだという。勝賢氏は、貿易については全く素人であったが、当時の取引銀行の職員が懇切にノウハウを指導してくれたお陰で台湾からの製品輸入が始まり、取引が順調に拡大していった。
 
 昭和57~58年頃、当時高校生であった賢一氏は父親から台湾の大学への留学を勧められた。「勉強はしないで遊んでばかりだろうが、遊ぶためには言葉が必要だから、中国語を修得できるだろう。」ということで留学することになったという。賢一氏によれば、父親の予想通りよく遊んだお陰で中国語をマスターし、留学を終えて帰国するときには未来の社長夫人も一緒だったというから、父親の期待以上の成果を上げることができたようである。

 平成2年に帰鹿した賢一氏は、父親の下で仕事を始め、台湾やその後取引が始まった中国での商談には通訳として常に父に同行し、商品に対する知識や経営ノウハウを学んでいった。父が社長、息子が通訳という組み合わせは、取引相手から信頼を得る上で大いに役立った。そのような中、賢一氏は、平成9年に32歳の若さで突然社長に就任することになった。台湾に出張中の勝賢氏が交通事故に遭い61歳で急逝したためである。その時も同行する予定であった賢一氏は、出発直前になって父から、今回は鹿児島に残るよう命じられた。同行していれば、賢一氏自身も同じ運命をたどっていたかも知れず、なぜ、その時だけ残るように命じたのか、不思議な運命を感じるという。

 同社が取り扱う製品は、欄間、社寺彫刻、床柱、高級工芸品、銘木彫刻品などである。一口に欄間といっても彫刻欄間、書院欄間、組子欄間、透かし彫欄間、蓮欄間などの様々な種類がある。また、これらの製品の材料は、杉、檜、桐などで、国内はもとより台湾や中国などの材も利用されている。杉の中でも特に高級なものが屋久杉、神代杉である。屋久杉は、屋久島で産する杉のうち樹齢千年以上ものを指すが、昭和57年以降は原則として伐採が禁止されているため、現在では、土埋木や風倒木などを森林管理署の公開入札を通じて入手している。神代杉は、山形県と秋田県の境にそびえる鳥海山がかつて噴火した際に火山灰に埋没した杉を掘り出したもので、黒みがかった重厚な色合いを持ち歴史を感じさせるものである。                      
       

 これらの製品については、国内での製造が2割程度で高級品が中心であり、残りは中国、台湾、香港などの海外から輸入しているが、かつて中心であった台湾に代わり、現在は中国のウエイトが高くなっている。中国の福建省、江西省、浙江省、広東省などでは木材加工が盛んで、中国国内の材のほか日本や台湾の材を持ち込み委託加工したものを輸入しており、日本国内での販路は、県内2割、県外が8割となっている。

 山田社長によれば、中国との取引上をする上での留意点として、商取引に関する考え方や、文化、言語などのバックグラウンドが違うことを理解する必要がある。例えば、中国の取引先は、一般的に短期間で利益を上げようとするために品質管理が不十分で、かつては月に1回程度の割合で現地に出向き検品を行う必要があったが、その後、関係者を招聘して日本における製造や販売の現場を実際に見せることにより、品質の向上が図られた。また、山田社長は、人的なネットワークづくりを大事にしている。中国には人治の国といわれる側面が色濃く残っているため、地方政府を含め行政関係者との良好な関係を築くことのメリットは少なくない。また、量的には少ないもののタイやベトナムの工芸品も取り扱っているが、これらは、これまでの取引を通じて培った台湾や香港の信頼できる業者を通じて輸入している。
         
 森林資源保護のため、今後中国でも原材料の確保が困難になることが予想される中で、山田社長は東南アジアなど新たな取引先の開拓を検討するとともに、上海をはじめとする中国の裕福層をターゲットにした高級家具工芸品の輸出の可能性にも注目しているという。若くして会社を引き継いだ山田社長は、鹿児島青年会議所のメンバーとして、鹿児島のまちづくりへの提言やボランティア活動にも積極的に関わってきた。海外や地元に築いてきた幅広いネットワークや語学力を基に、山田銘木店が一層発展されるよう期待したい。

中越パルプ工業(株)川内工場

会員者情報

企業名 中越パルプ工業株式会社 川内工場
所在地 薩摩川内市宮内町1-26
電話 0996-22-2211
名前 上席執行役員工場長 中野 達男 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2006,1月号掲載)

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    山根次長      中野工場長

中越パルプ工業株式会社は、戦後間もない昭和22年に富山県で創立された。現在、東京に本社を置き、川内工場のほかに富山県に2工場を有する国内有数の製紙メーカーである。中野工場長と山根次長にお話を伺った。
                            
 川内工場は、昭和29年12月に川内市(現薩摩川内市)の誘致企業第1号として操業を開始した。市の熱心な誘致活動はもとより、川内川の豊かな水量や黒松などの原料に恵まれていたこと、良質な労働力を確保しやすかったことなどが立地の理由であった。創業当時112名でスタートした従業員は、現在約400名、関連会社を合わせると約1,000名で、薩摩川内市において、大きな雇用効果をもたらしている。

 川内工場における紙の生産量は年間約30万㌧。創業当初は、包装用のクラフト紙が中心であったが、ニーズの変化に対応し、現在では、カタログやパンフレット用の塗工紙、書類や書籍用の上質紙,カップ原紙・壁紙・防虫紙といった特殊紙など様々な製品が製造されている。子供たちに人気のハリー・ポッターシリーズの翻訳本や愛子さまお気に入りの絵本「うずらちゃんのかくれんぼ」、トヨタのレクサスのパンフレットなどにも同工場の製品が使用され、国内で使用される建築用壁紙では5割のシェアーを占めている。また、量は少ないが、県内に豊富な竹を原料に利用した竹入紙も生産、紙コップや箸袋、封筒などに使用されているという。

 紙の製造工程は、木材チップからパルプを作る「蒸解パルプ工程」、パルプを使って紙を作る「抄紙(しょうし)工程」の二つに大きく分けられる。まず、蒸解パルプ工程であるが、木材チップにはパルプになる繊維(セルロース)のほか、繊維の接着成分(リグニン)などが含まれているため、苛性ソーダなどを加えた釜の中で高温で煮沸し、リグニンを溶かして繊維を取り出す。この繊維を洗浄後、塩素、過酸化水素などを加えて漂白するとパルプが出来上がる。なお、この工程で発生するリグニンなどの有機物を含んだ廃液はボイラーで燃焼させることで、工場内の全ての熱源を供給するとともに、タービン発電にも利用され消費電力の95%をまかなっている。また、廃液に含まれる苛性ソーダなどの薬品は回収して再利用される。

 次の抄紙工程では、はじめに、繊維が互いに接着しやすくするために繊維を叩いてヒゲを出す叩解(こうかい)という作業を行う。この段階のパルプの99%は水分であるが、プラスチック製の目の細かい網の上にパルプを薄く広げ、水分を落としながら紙の層を形成する。これをプレスして水分を絞り、熱を加えて乾燥させた後、巻き取って紙のロールが出来上がる。ロール1本の重量は20㌧と巨大なもので、これを注文に応じて裁断などを行い出荷する。川内工場では、一日当たりの生産量は880㌧、これをのばすと鹿児島-東京間の距離に相当するという。
 
 国産が中心であった木材チップであるが、昭和40年代から外国産の輸入が増加し、現在中越パルプで使用しているチップの7~8割は輸入ものである。輸入相手先も北米、中国、東南アジア、南米、南アフリカ、オーストラリアなどと多様化しており、最近では、オーストラリアやニュージーランドのユーカリが最も多くなっている。自社の専用船6隻で年間40~50万㌧を川内港に輸入し、20㌧の大型ダンプで工場敷地内のチップヤードに搬送している。
 
 かつて製紙工場は、悪臭や水質汚濁の問題などで公害産業と言われた時期があった。
川内工場では昭和50年に川内市と公害防止協定を締結、排水浄化施設をはじめとした様々な環境保全設備を整備してきており、平成12年にはISO14001を認証取得するなど環境対策に積極的に取り組んできた。中野工場長は「製紙工場は、資源のリサイクル、省エネルギー対策、国内外での植林事業などに積極的に取り組んでいる。今や地球環境に最も優しい産業のひとつですよ。」と語られた。

 中越パルプ工業株式会社が掲げる「品質第一主義」、「環境対策の推進と地域社会への貢献」、「安全体制の確立」の三原則のもとに、川内工場においても、時代の要請に応える優れた品質の製品を安定供給すること、地域環境を守り共栄共存を図ることを目標に、事業活動を進めている。

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