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海外生活雑感

海外生活雑感

香港在住 サン・サン・トロア オーナーシェフ  宮迫 征弘

ごはんたべた? 

「ごはんたべた?」これは毎朝スタッフと交わす最初の言葉です。そしてこれが”あいさつ”なのです。ここ香港では毎朝よく聞かれる言葉です。近頃になってこれは親しい人と交わすあいさつなのだということが分かりました。
鹿児島の皆様に向けて,このあいさつで私の文章をはじめたいと思います。

サン サン トロア

私は2000年の1月に香港でレストランをオープンさせました。店の名前は”サン サン トロワ”といい,これは数字の3,3,3を中国語(広東語),日本語,フランス語で発音したもので,ひとつの枠にとらわれないといった意味での”なんでも屋”を目指して名付けました。現在サン サン トロワを営業して2年と6ケ月になります。
香港経済も明日が見えにくい情況の中,なぜかレストランがこの頃たくさん新たにオープンし,オシャレな店が多くなりました。私の店は50席足らずですが,近頃オープンする店の中には客席が150席~250席ある大きな店もあり,50席でも連日お客様でいっぱいにするのは難しいと思うのに,ほとんどの店が日本人の料理長1人と香港人数名で営業している状態で,皆,現地スタッフとのチームワークと営業努力を目指してがんばっているな,と痛感しています。
日本からの食材(肉,野菜,鮮魚)は週に4回取り寄せる事ができます。月曜日に九州の福岡から,後の3回は東京築地市場から入ります。今の所,鹿児島からコンスタントにまとめて食材を取り寄せることはありませんが,私の店では「黒ブタ」を 扱っています。鹿児島牛も入荷していますが,今は香港政府の方針でなかなか入手することができません。鹿児島の新鮮な野菜などが使えるとメニューが楽しくなるのですが!!

市場の楽しみ

香港では市場のことを”ガイシ”(街市)と呼びます。市場にある店は,野菜,鮮魚,冷凍肉,豆腐,漬物,漢方薬,フルーツ,川魚などそれぞれが専門店として営業しています。その種類の多さには日本から来る友人の料理人もビックリするほどです。
肉類だと牛肉は中国からの輸入肉で一頭の牛を店内で切り分けて,すべての部分を売っています。サーロイン,ヒレ肉,ブリスケ,その横には骨やしっぽが売られているといった具合です。豚肉も同じく一頭のまま毎朝店先につき,それを切り分けて売っています。大きな中華包丁1本ですべてを切りわけます。
鶏肉の場合は注文に応じて生きた鶏をさばいています。中でも胡麻鶏(チーマーカイ)という種類は人気があります。しかしここ数年香港では鶏のウイルスの問題があるので,私の店ではフランスのブレス産の鶏を輸入しています。
香港にはそのような市場がたくさんあり,行くとおもしろい物に出会うことができます。先日は中国の四川省,山東省の梅が市場の中の1件の店だけにありました。青梅を塩漬けと梅酒にしました。他にもキビナゴなどの珍しい物もありました。
市場ではすべて交渉次第でディスカウントできますが,香港の言葉(広東語)だけしか通じないので最初は無理のようです。 

“明るい人”は言葉を覚えるのが早い!?
香港の人達は声が大きく話し好きです。電車の中でもバスの中でもとにかく話し声が聞こえてきます。初めの頃は何を話しているのかわからないので,会話の内容が分かりませんが,だんだんとわかってくると,かなりブラックジョークが混ざっています。
話の好きな人はどんどん広東語が上達していきます。同じような発音でも意味が違うので会話をしてみないと先生に習った発音では通じない事が多く,その時は早口で言うようにしています。早口で言うと以外と通じます。はずかしがらずに明るく笑顔で話すと友達も増えてきます。
日本語で話すときと現地の言葉で話すときは性格まで変わってしまうような気がします。言葉は文化だといいますが,性格まで変えるのかもしれません。私は英語,マレーシア語,北京語,広東語といった色々な言葉の中で18年間生活してきました。今は週に一度,2時間ずつフランス語を習っています。四十の手習いと言いますが,四十の言葉習いです。先生は60歳のフランス人女性です。年に4回あるグルメパーティでは,参加者の方々は初め英語で話していますが,話が弾むころにはフランス語に変わっていきます。日常は広東語の生活をしている人達も出身地は広州,福建省,上海と様々です。同じ出身地の者同士が,親しみを込めて出身地の言葉で話すときには特に楽しそうに見えます。私にとっては鹿児島の言葉で話すときです。海外で仕事をする時,やはり言葉が1番難しい問題ですが,香港や中国の北京の場合には漢字を書くとなんとかなるようです。ただ、香港の漢字は日本とかなり近いのですが、北京で使われる新しい字体の漢字は私にはわかりません。しかし、北京の友人には日本の漢字がよくわかるようです。

シンガポールの思い出

教育の国シンガポール。シンガポールの人達は日本の車が大好きです。シンガポールの有名校”ラッフルズスクール”では、生徒のほとんどがメガネを着用しています。そして皆よく勉強します。
6年間のシャングリラホテルでの仕事の中で印象に残っているのは,シンガポールの前首相やマレーシアの首相,アラブの王様の食事を用意したときの事です。その場合,特別室の調理場で料理します。ボディーチェックを入り口で受け,20名ほどのボディーガードやホテルのマネージャー数人が見守る中,料理をしましたが,周りの人達のピリピリとしたムードが伝わってきました。食後首相が調理場までおいでになり,日本語で「ごちそうさまでした」という言葉を頂き,少しの会話をすることもありました。現在香港に見えるときも数回料理を作らせて頂いております。ボディーチェックの時にはいつも手に40センチメートル位のナイフを3本ほど持っているのですが,体は調べられますがナイフは料理人と言うことで許してもらえるようです。

マレーシアの思い出

私は以前はホテルのレストランでも仕事をしていました。マレーシアのクアラルンプール(K.L)での出来事ですが,レストランのオープン当日に調理場にスタッフがいないと思ったら,全員イスラム教の人達なので”お祈り”の時間だったらしく,階段の上の方でお祈りをしていたということがありました。
友人の家に行くとリビング中央に丸い”ゴザ”が敷かれ,家族全員であぐらをかいて食事をしていました。右手の指を使って食べる料理はおいしいものでした。今は日ごろはスプーンとフォークで食べるのが主流だそうですが,特別の日にはやはり指で食べるということです。
マレーシアの毎日の食事はシンプルに鶏のカレーや羊のカレー,そして野菜とご飯,酢漬けの胡瓜,そしてチリ(生の唐辛子)ですが,祝い事の時には品数が多く,カレー風味の煮込み料理や鶏,魚,羊のスパイスのきいた料理,豆腐の揚げた物にココナツミルク風味の椰子,マレーシア風のフライライス,それにデザートも種類が多く,バナナの天ぷらやゼリーのケーキ,そしてフルーツにドリアンと高級な食材が並んでいます。それらをゆっくりとあぐらを組んでいただきます。子供達はあぐらの上に乗ってきます。マレーシアの人々は子供を大切にします。また人情が深く,帰るときなどは食事のお礼と健康を祈って家のおばあちゃんに必ず挨拶して帰ります。彼らを見ているとどことなく鹿児島を思い出しました。

北京の思い出

北京の5月は楊(柳の一種。昔は並木に使われたとか)の花が雪のようです。街には色々な屋台が並び,白衣を着けて白い帽子をかぶった料理人のもとに,夕方ともなるとたくさんのお客が集まります。北京の女の子だけがするそうですが,二人の若い娘さんが1つのアイスクリームを歩きながらなめている光景にはほのぼのとしたものがありました。

香港人の気質

香港人は家族愛が強いと思われます。若い男性が”おじいちゃん””おばあちゃん”の手を引いて食事に行きます。私の店の従業員からも「日曜日は母のバースデイだから休みたい」というリクエストがきます。ほとんどの家では子供達が毎月給与の半分をお母さんに渡しますが結婚後は少しでもいいそうです。
今年に入り多くのホテルでリストラがありました。香港ではサービス業,特にレストランで仕事をする人が多く,数人の知人が仕事先をさがしていますが,なかなか見つかりません。香港ではサービスの水準の低さが目立ちますが,経済的に自立するにはあまり”ニコニコ”はできなかったのだろうと考えています。

最後に

鹿児島の空気,水,野菜,肉はとにかくおいしい。そして香港の人達が今,鹿児島に行くようになっている事はお気付きですか?香港の人は温泉が好きです。しかし大きい風呂に知らない人と一緒に入るのは嫌がります。やはりプライベートの温泉が好まれます。
香港で生活する上で不便な事として,水の問題があります。香港の生水はそのまま飲めない為,水は買って飲んでいます。香港においでの時は生水に気を付けてください。

<レストラン サン サン トロア>
◇所 在 地:4/F.,CITIC Tower, 1 Tim Mei Avenue, Central, Hong Kong
TEL 852-2104-5333 FAX 852-2104-5788
◇営業時間:ランチタイム 12:00~ 2:30PM
ハッピーアワー 5:00~ 7:00PM
ディナータイム 6:30~10:30PM
※ハッピーアワーは1杯分の料金で同じ飲み物がもう1杯ついてきます
◇サンサントロワ のオリジナル料理
・鮪のタルタルキャビアぞえ トマトと醤油のソース
・鯛の白トリフカルパッチョ スペイン産のオリーブオイル風味
・ピリ辛そうめん 北京のそうめんを使ったペペロッチーニ風

筆者紹介:鹿児島県末吉町出身。娘二人,息子一人,妻の5人家族。1984年に日本を離れ,途中1年間東京に戻るが現在香港で海外生活進行中。

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