会員者情報
企業名 | 有限会社山田銘木店 |
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所在地 | 鹿児島市東開町8-9 |
電話 | 099-269-1239 |
名前 | 代表取締役 山田 賢一 氏 |
インタビュー(貿易ニュース鹿児島2004,10月号掲載)
(有)山田銘木店は鹿児島市の木材商業団地にあり、昭和44年に山田社長の父親である勝賢氏が創業、49年に有限会社となった。勝賢氏は戦前の台湾で生まれたが、終戦により鹿児島に引き上げてきた。行商や雑貨店の経営などを経て、35歳の頃に銘木店を開業し、屋久杉製の欄間の製造・販売や、知り合いの職人が製作した木工製品の販売を行うようになった。
事業が軌道に乗る中で、勝賢氏は台湾からの欄間の輸入を考えるようになる。我が国では、昭和30年代後半以降の住宅建設増加に伴ない欄間の需要が増大する一方、供給側として、労働力不足、特に手工業的な欄間業界では職人の確保が難しく、需要に追いつかないという事態となった。このような背景のもとに、台湾檜や台湾杉という良質の材に着目した大阪の一業者が現地の木材工芸業者を指導して作らせたのが、台湾欄間の始まりだという。勝賢氏は、貿易については全く素人であったが、当時の取引銀行の職員が懇切にノウハウを指導してくれたお陰で台湾からの製品輸入が始まり、取引が順調に拡大していった。
昭和57~58年頃、当時高校生であった賢一氏は父親から台湾の大学への留学を勧められた。「勉強はしないで遊んでばかりだろうが、遊ぶためには言葉が必要だから、中国語を修得できるだろう。」ということで留学することになったという。賢一氏によれば、父親の予想通りよく遊んだお陰で中国語をマスターし、留学を終えて帰国するときには未来の社長夫人も一緒だったというから、父親の期待以上の成果を上げることができたようである。
平成2年に帰鹿した賢一氏は、父親の下で仕事を始め、台湾やその後取引が始まった中国での商談には通訳として常に父に同行し、商品に対する知識や経営ノウハウを学んでいった。父が社長、息子が通訳という組み合わせは、取引相手から信頼を得る上で大いに役立った。そのような中、賢一氏は、平成9年に32歳の若さで突然社長に就任することになった。台湾に出張中の勝賢氏が交通事故に遭い61歳で急逝したためである。その時も同行する予定であった賢一氏は、出発直前になって父から、今回は鹿児島に残るよう命じられた。同行していれば、賢一氏自身も同じ運命をたどっていたかも知れず、なぜ、その時だけ残るように命じたのか、不思議な運命を感じるという。
同社が取り扱う製品は、欄間、社寺彫刻、床柱、高級工芸品、銘木彫刻品などである。一口に欄間といっても彫刻欄間、書院欄間、組子欄間、透かし彫欄間、蓮欄間などの様々な種類がある。また、これらの製品の材料は、杉、檜、桐などで、国内はもとより台湾や中国などの材も利用されている。杉の中でも特に高級なものが屋久杉、神代杉である。屋久杉は、屋久島で産する杉のうち樹齢千年以上ものを指すが、昭和57年以降は原則として伐採が禁止されているため、現在では、土埋木や風倒木などを森林管理署の公開入札を通じて入手している。神代杉は、山形県と秋田県の境にそびえる鳥海山がかつて噴火した際に火山灰に埋没した杉を掘り出したもので、黒みがかった重厚な色合いを持ち歴史を感じさせるものである。
これらの製品については、国内での製造が2割程度で高級品が中心であり、残りは中国、台湾、香港などの海外から輸入しているが、かつて中心であった台湾に代わり、現在は中国のウエイトが高くなっている。中国の福建省、江西省、浙江省、広東省などでは木材加工が盛んで、中国国内の材のほか日本や台湾の材を持ち込み委託加工したものを輸入しており、日本国内での販路は、県内2割、県外が8割となっている。
山田社長によれば、中国との取引上をする上での留意点として、商取引に関する考え方や、文化、言語などのバックグラウンドが違うことを理解する必要がある。例えば、中国の取引先は、一般的に短期間で利益を上げようとするために品質管理が不十分で、かつては月に1回程度の割合で現地に出向き検品を行う必要があったが、その後、関係者を招聘して日本における製造や販売の現場を実際に見せることにより、品質の向上が図られた。また、山田社長は、人的なネットワークづくりを大事にしている。中国には人治の国といわれる側面が色濃く残っているため、地方政府を含め行政関係者との良好な関係を築くことのメリットは少なくない。また、量的には少ないもののタイやベトナムの工芸品も取り扱っているが、これらは、これまでの取引を通じて培った台湾や香港の信頼できる業者を通じて輸入している。
森林資源保護のため、今後中国でも原材料の確保が困難になることが予想される中で、山田社長は東南アジアなど新たな取引先の開拓を検討するとともに、上海をはじめとする中国の裕福層をターゲットにした高級家具工芸品の輸出の可能性にも注目しているという。若くして会社を引き継いだ山田社長は、鹿児島青年会議所のメンバーとして、鹿児島のまちづくりへの提言やボランティア活動にも積極的に関わってきた。海外や地元に築いてきた幅広いネットワークや語学力を基に、山田銘木店が一層発展されるよう期待したい。