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食料品

坂元醸造㈱

会員者情報

企業名 坂元醸造株式会社
所在地 鹿児島市上之園町21-15
電話 099-258-1777
名前 会長 坂元 昭夫 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2003,7月号掲載)

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坂元醸造株式会社の創業は古く約200年前の1805年(文化2年)のことである。先代までは、姶良郡福山町浦町で天然米酢の製造を続けている。現在の法人組織になったのは、昭和52年のことである。坂元の「くろず」は糖尿病、高血圧、動脈硬化、肥満解消など多くの生活習慣病に効果があるといわれる。今回は、その辺の秘密を明らかにしたいと思う。

[ 本社訪問 ]
 会長の坂元昭夫氏は、九州大学医学部に入学するも、医師の道を志さずに薬学の道に進んでいる。卒後大手製薬会社に働くが、家業を継ぐために帰郷。医学部時代培った研究心旺盛な科学者の目と古来健康に良いと言われてきた伝統の天然つぼ酢「くろず」がここでめでたく再会を果たした。
 「くろず」の効能を解析するために、同級生だった九州大学の薬品分析学の大倉教授に分析を依頼したところ、通常の10~20倍という豊富なアミノ酸、ポリペプタイド、有機酸等が含まれていることが分かり、驚いたという。黒酢の研究に弾みがついた。九州大学医学部をはじめ、各地の大学や研究機関から研究申し出が相次いだという。その結果、坂元醸造が提供した天然壺作り黒酢には多くの医学的な効果が確認された。
① コレステロールや、中性脂肪などの脂質代謝機能の改善機能、 ② 赤血球変形機能を改善し、血液をさらさらにする機能、 ③ 血糖値を低下させる機能、 などの効果が医学的に判明し、④ 血圧を下げる機能、 ⑤ 肥満を防ぐ機能、 ⑥ 抗アレルギー作用 等の医学的原因解明にも取り組んでいるという。
ところで、最近中国や沖縄産の酢が注目を浴びているが、中国の黒酢は餅米を使い,砂糖を加えている。酸っぱくなく少し苦い。大連などでは、昔日本でも使っていた白酢というアルコール酢が主に使われている。この酢は、中国ではSARSの消毒にも使われたようだ。沖縄の酢は、黒砂糖と泡盛のもろみから作られるが、酸度が低く厳密には酢とはいえないという。
 海外取引は、過去には韓国やロサンジェルスとしたことがある。ニューヨークでは20年ほど前に契約寸前までいったが、リスクが大きかったので断念した。
 ハワイとは、20~30年間取引が続いている。坂元の「くろず」のおかげで命拾いした地元の人が健康食品会社を設立して、同社の黒酢を扱うようになり、それ以来代理店をお願いしている。会長自身も、ハワイのTVに出演し、黒酢についてPRしたこともある。
 台湾には同級生がおり、そこは今も商品を扱ってもらっている。
 現在、シンガポールから引き合いが来ている。面白いことに、こっちは知らないのに、韓国やドバイで販売されていたという話を聞いた。
 今後は、どこの大手製薬会社も、次は中国で勝負することを考えている。当社もアメリカの次は中国だと考えている。しかし、現状では製品の生産量がおいつかないのではないかという心配もある。

[ 福山工場訪問 ]
 坂元醸造福山工場を訪れ、工場長の蔵元忠明氏に、くろずの壺がずらりと並ぶ「壺畑」にご案内いただき、製造の秘訣をお聞きした。
 「くろず」は原料の米を太陽の熱で発酵させ、1年かけて液体に変えていく。
 江戸時代からの製法をそのまま受け継いで,1年間じっくりねかせたものを製品として出荷している。長いものは3年以上もねかせている。原料となる米は、主に姶良近郊で採れるものを使用している。
 発酵の過程は,最初の2~3ヶ月がとても大切で大変手がかかる。仕込みは、まず直径40㎝,高さ63㎝の3斗壺(54㍑)の壺の底に米麹を入れ、次に蒸した米10㎏、そして地下水を入れ、さらに水面を雑菌混入の蓋の役目をする振り麹で薄く覆う。1週間後には糖の発酵が始まり、2~3週間後に酒の発酵がピークを迎え、その後酢の発酵に入る。早いものなら3ヶ月くらいで発酵し、その後じっくり熟成する。
 薩摩焼きの細かいひびが「くろず」には一番適しているため、当初は壺は薩摩焼きだけを使っていたが、一時期壺を焼く窯元がなく、同じ形のものを台湾や韓国などでも作ってもらったこともある。使用し続けてきている壺には、壺自体に菌が住んでいる為、新たに菌酵母菌、酢酸菌を使用しなくても立派な「くろず」ができる。
  毎年春と秋に1日に300本程度仕込む。この時期に漂う「くろず」の甘い香りが福山町の季節感である。現在壺は3万7千本ある。
 壺畑と呼ぶように、農業と一緒で,畑(壺を置く土地)は気を付けて管理している。  福山町は、湧水や地下水など水が豊富で,気候が温暖なので菌が繁殖しやすく「くろず」の発酵に適しており、また山に囲まれているため、台風の風の影響をあまり受けずにすむ。意外に思われるかもしれないが、壺の上にただ乗せてあるだけの蓋が風で飛ぶこともない。怖いのは地震の方であるとか。(今までは無いが。)
 ここ福山の『くろず情報館・阿萬屋』では天然つぼ酢「くろず」の独特な造り方の歴史や効果、特徴はもちろん、酢についての情報を見聞できるスペースである。壺畑の見学もできる。また、飲料に適した「りんご黒酢」、卵をくろずで煮込んだ「すっ玉」、くろずキャンディー、くろず飴、くろず昆布などのくろず商品を展示即売もしている。
 後学のために、お近くにおいでの際は是非お立ち寄りください。

坂元醸造株式会社
  くろず情報館 阿萬屋
  姶良郡福山町福山3072-1
  TEL:0995-54-7200
  URL:http://www.aman-ya.co.jp/

薩摩酒造㈱

会員者情報

企業名 薩摩酒造株式会社
所在地 枕崎市立神本町26
電話 0993-72-1231
名前 取締役商事部長 西 一郎 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2003,10月号掲載)

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今回は,日本国内はもちろん世界でも,芋焼酎といえば「白波」と言われるほどのブランド力を誇る地元焼酎製造メーカー最大手の薩摩酒造株式会社を訪問いたしました。
 営業最前線で世界を飛び回っていらっしゃる商事部長の西一郎氏にお話をお伺いしました。
 『薩摩酒造では既存の商品に力を入れると共に,新製品の開発にも力を入れています。
 「白波」は最も皆さんによく親しまれている焼酎です。麦焼酎の「神の河」も芳醇さ,飲み易さで人気があり,国内はもとより世界中で愛飲されています。最近は黒麹仕込みの「黒白波」の評判が上がっています。焼酎は黒麹を使うと甘みがでると言われており,この黒麹を使って造ったのが「黒白波」です。
 薩摩酒造では,焼酎製造にあたって,南薩摩の清らかな地下水と薩摩酒造が苗から準備し,契約農家が丹誠込めて育てた芋のみを使用しています。
  焼酎の需要は,国内がだんぜん多く,海外はまだまだですが,販売額の推移で見ると,国内同様,海外での販売も伸びています。
 海外への直接輸出はしていませんが,アメリカ,香港,インドネシア,南アフリカ,ヨーロッパ各国など30カ国に販売代理店があり,商社を通じて輸出しています。積み出しは,主に横浜からです。香港へは,志布志港からコンテナで出荷しています。韓国ソウルへも昨年から出荷を始めましたが,有名ホテルや免税店などに置かれているようです。インドネシア政府とはライセンス契約を結び,インドネシアで出回っている焼酎のほとんどは薩摩酒造の製品です。現在のところ,海外向けの芋焼酎,麦焼酎,そば焼酎の生産量は6万㍑ぐらいです。海外での販売は,国によってそのシステムやライセンスの取り方が違うので,手続きにかなり手間暇要します。
 「白波」をこれからは中国,特に上海周辺の日本人をターゲットに販売していきたいと考えています。「白波」は香港では,既にかなりの知名度を得ていますが,日本人の皆様が海外で「白波」や「神の河」など薩摩酒造の製品を見かけたときに,ホッとしてもらえるような存在にしたいと思っています。
 ところで,焼酎のほかに発泡酒,梅酒などのリキュールの製造免許も持っていて,現在,芋だけで造った「さつま芋ビール(発泡酒)」を製造販売していますが,芋だけで造った芋ビールを製造しているのは,今のところ日本では薩摩酒造だけです。是非多くの人に味わっていただきたいと思っています。』
 最後に,500年もの本格焼酎造りの伝統を継承する南薩の地に,焼酎文化を伝え,創造する資料館として生まれた,薩摩酒造の文化資料館「明治蔵」を見学させていただきました。
 アテンダントの中原 香さんのお話では,ここの一番の売りは,実際の焼酎造りを見ていただけることだそうです。折しも,今はサツマイモの収穫の時期で,焼酎造りの真っ最中でした。もうすぐ,焼酎のアールヌーボーが出来上がりそうです。左党にはたまらないですね。
 明治蔵では,昔ながらの亀壺造りで焼酎を製造しています。100年以上前からの技術が,脈々と受け継がれており,工場内には92個のカメ壺が土中に埋められ,これが壺の温度を管理するのにも,発酵で壺が割れるのを防ぐのにも役立っているそうです。
 焼酎は簡単に言うと,蒸した芋をつぶした後,麹菌と水を加えて発酵させたものを,蒸留すると出来上がるのですが,原材料を米にして発酵させたものをしぼると清酒になり,これを蒸留すると泡盛等米焼酎になります。原料を芋にして蒸留すると芋焼酎,ソバにして蒸留するとソバ焼酎ができるという訳です。
 ちなみに,蒸した4トンのさつまいもからは,2千本の焼酎ができるそうです。つまり1升瓶一本の焼酎は,さつまいも2㎏から造られるということになります。
 ここ明治蔵には,黄金千貫,紫芋,安納芋等品種毎に造った「手づくり焼酎」もあります。皆さんも機会がありましたら,是非ここの明治蔵で「手づくり焼酎」「さつまいもビール」を味わってご覧になったら如何でしょうか。

南海食品㈱

会員者情報

企業名 南海食品株式会社
所在地 鹿児島市谷山港3丁目4番17号
電話 099-262-3666
名前 代表取締役社長 渕本 逸雄 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2005,10月号掲載)

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鹿児島月揚庵(南海食品株式会社)のつけあげは、全国向けとなっている郵政の「ふるさと小包」の人気商品として扱われているほか、コンビニにおいてあるカタログでの販売も行っており、お中元、お歳暮、父の日、敬老の日などのイベントなどでもかなりの需要がある。カタログ通販での売り上げは順調に伸びており、年末やお中元月には注文が集中するため、従業員も夜中まで働いてもらっているとのこと。

 南海食品株式会社は昭和38年に海産珍味加工製造業として発足した。創業者は現社長逸雄氏の父、敏太郎氏で串木野に九州唯一のフグ専門加工工場を設立し、下関・広島方面のふぐ加工場や大阪・神戸の中央市場に出荷していた。
 珍味を真空パック化する機械を鹿児島で初めて導入したのは南海食品で、日持ちの関係で地元消費しかできなかったさつまあげを真空パックにして県外へも売ってみたのが、後にさつまあげを始めるきっかけとなった。
 地元で消費されるさつまあげを、土産物として通用する商品へと高めたのは南海食品の試みがあってのことであると言える。しかし、最初は真空パックにピンホールが空いていたり、シールがきちんと貼られていないため商品が腐り、返品がかさむなど失敗だらけだったという。

 フグの漁獲量の減少や安価な海外製品の流入の影響で業務拡大が必要となり、昭和54年に新たに株式会社南海屋を設立し、さつまあげの製造を開始した。
 逸雄社長は平成7年に株式会社南海食品の社長に就任。弟の敏朗氏は株式会社南海屋(平成17年4月に株式会社敏太郎に社名変更)をまかされた。南海屋で「月揚庵」の商品を製造し、南海食品が販売を受け持ってきた。
 
 平成10年に三越の日本橋本店にさつまあげの直売店を出す際に、珍味屋のイメージが強い南海食品ではなく、もっとさつまあげ屋らしい名前を付けたらどうかというアドバイスを受け、さつまあげのブランド「月揚庵」という名前を付けた。鹿児島県出身であるタレントの坂上二郎さんのPR効果もあり、若者への知名度も高い。
 また、三州クラブや関東県人会にも入って、関東方面の月揚庵のファンを増やしてきた。

 同社は、さつまあげでは後発のメーカーであるが、県外の人をターゲットにして味覚を徹底的にリサーチし、お土産やお中元、お歳暮用の商品として、ニーズに合うよう甘さをセーブした商品を開発した。東京などでは甘いものはあまり好まれないが、甘さがないと東京のはんぺんや福岡のてんぷらと同じになってしまう。工夫を重ねた結果、さつまあげの特徴である甘さは残しつつ、県外の方からも支持される商品が生まれた。自社製品に自己満足していては伸びていかない。さつまあげの中に、サツマイモやレンコンなどを入れた商品を作ったのも南海食品が最初であった。

 敏太郎(旧南海屋)では、新しい商品の開発だけではなく、安全性に対する徹底した管理も行っており、平成12年には、国際的品質と衛生管理システムSQF2000及びHACCPの認証を同時に取得した。特にSQF2000の工場としての認定は国内第1号とのこと。工場は社長ですら自由に入れないほどきちっと管理されているという。
 HACCP対策は、地方ではまだまだ認識が薄いのが現状だが、きちんとやっていかなければ中央との競争には勝てない。また、いずれ海外に商品を出す際にも有利となる。
 また南海食品では、お客様の個人情報に対する信頼性を確保するため、プライバシーマークの取得も予定している。

 渕本社長は実演販売に目を付けたのも早かった。まず、さつまあげの需要が安定して多い鹿児島空港ビルに実演販売のコーナーを設けた。実演販売の許可を得るため、各種手続きがあり大変だったが、これを行うことによる売上の効果はかなりあったとのこと。現在は空港のほかにも三越、アミュプラザ、桜島サービスエリア、東京の遊楽館などでも実演販売を行っている。

    
 南海食品では、新工場を建設する予定があり、そこには、さつまあげの研究室もつくる予定だ。新工場では、敏太郎がHACCP認証の関係で限られた生産品しかできないので、南海食品において、手作りの商品などの開発にも挑戦していきたい。

 さつまあげは知名度は高いが、福岡の明太子や熊本の辛子レンコンなどに比べると、まだ全国に浸透しておらず、金額的にも売り上げが低い。県内でも水や、健康食品等を扱う企業が確実に業績を伸ばしているなか、さつまあげも、いろいろと積極的に打って出ていきたい。一歩上を目指すにはどのように展開していったらよいかを常に考えて、足固めはもちろん、県外の練り製品企業との競争も視野に入れ、新たな製品の開発などを手掛けたいと考えている。

小鹿酒造㈱

会員者情報

企業名 小鹿酒造協業組合
所在地 肝属郡吾平町上名7312
電話 0994-58-7171
名前 代表理事 田中 高逸 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2003,3月号掲載)

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当協会に新規加入いただいた「小鹿酒造協業組合」を訪問した。
 同組合は,昭和46年鹿屋市、東串良町、吾平町、佐多町の4社が協業しスタートした。
 昭和53年には鹿屋市の2社がこれに加わった。
 同社は、芋焼酎の主原料サツマイモの最大の産地大隅半島の中央に位置し、いい焼酎造りには絶対欠かせないミネラル分豊富な良質の水を、千メートル級の山々からなる国見山系が惜しみなく与えてくれる。まさに焼酎造りのためにあるような絶好のロケーションである。
 芋焼酎は、イモの銘柄が“大隅産コガネセンガン”でないといけないらしいが、さらに高品質で新鮮なものが常に入手できるようにするために、わざわざ(有)小鹿農業生産組合まで設立したという。たいしたこだわりである。このような努力が実ったのか、創立30周年の平成13年には、ついに年商18億を達成し3万5千石の生産高を誇るまでとなった。
 現在の焼酎ブームの中で,大隅半島の焼酎は幻のイメージがあり首都圏ではかなり人気があるが,最近東京の人から、地元の鹿児島で一番売れている銘柄は何かと良く聞かれるそうである。巷に焼酎愛好家が増えて、本当に美味しい焼酎を知りたいという事だろう。これからは地元で愛される焼酎が一番人気ということになるのだろうか。
 同社の手がける焼酎は,南九州に住む人々の生活に深く根づいた“地の酒”であり,日々の暮らしにうるおいと活力を与えるとともに,食文化の一端を担っている。先人から受け継いだこの焼酎づくりの技と心を次代に残すことが,大きな責務であると代表理事の田中氏はおっしゃる。
昨今の焼酎ブームで,県外出荷量が対前年比110%と伸びているが、大手酒造メーカーも焼酎販売に乗り出し、国内焼酎メーカーに製造委託したり、外国産焼酎を輸入するという情報もある。
 将来的には、同社としても海外生産や輸入を視野に入れ検討していく必要があろうかと思うが、貿易に関しては,今後とも社員を含め,勉強をしていきたいと考えている。
 最後に会員の皆様に
     お勧め銘柄を一つ  鹿児島焼酎小鹿「5年貯蔵原酒げんもん」
     エピソードも一つ 南極越冬隊御用達の焼酎は 小鹿 だそうです。

小城製粉㈱

会員者情報

企業名 小城製粉株式会社
所在地 川内市隈之城町1892
電話 0996-22-4161
名前 代表取締役社長 小城年久 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2004,8月号掲載)

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小城製粉株式会社は小城社長の父、勇一氏(現会長)により昭和41年に設立され、川内市に本社、鹿児島市に営業所を置く。和菓子の原料となる米穀粉業界で九州の一のシェアーを誇る同社は、この業界の中でユニークな存在といわれることが多い。普通は「素材メーカー」から「製品製造メーカー」へと付加価値の高い方へと発展することが多いこの業界にあって、同社は全くその逆をたどってきたからである。

 勇一氏は、義父が営んでいた「のせ菓子」で和菓子の修行の後、独立を図るべく昭和22年にめん工場を新設した。食糧事情が悪かった当時は「めん」を作りさえすれば売れていく時代で、経営はすぐに軌道に乗ったが、昭和28年に火災に会い、工場が全焼する。工場再建について義父に助言を求めたところ、「のせ菓子」で使う米殻粉を製造するよう進められた勇一氏は、和菓子の粉作りの修行を一から始め、小城製粉のスタートとなった。その後、製粉業は順調な成長を遂げ、「のせ菓子」は現在「のせ菓楽」と名前を変えて小城製粉の菓子製造部門として吸収されている。

 東京の大学の工学部で工業化学を専攻した年久氏は、家業を継ぐ前に食品について専門的に勉強したいと考え、卒業論文のために大学4年の時、農林水産省食品総合研究所に研修生として入所した。同研究所では、鹿児島特産「かるかん」の原料である山芋のフリーズドライの研究に取り組むなど多くのことを学ぶことができた。また、もともと人好き、世話好きであった年久氏は、「のせ菓子」で作った「かるかん」をぶら下げては、食品関係の研究者などを訪問し、「かるかん小僧」というあだ名をいただくほど可愛がってもらった。この当時、知己を得た多くの方々は、今日においても様々な面で年久氏の貴重な財産になっているという。

 3年間の研修を終えた年久氏は、昭和48年に小城製粉に入社、専務を経て平成2年に父勇一氏の跡を継ぎ社長に就任。その後、同社は急成長し、昭和60年頃約3億円であった売上高は、現在では15億円を超えるまでになった。その内訳は、製粉が9割、菓子と米の精米小売りが1割で、製粉のウェイトが圧倒的に大きくなっている。一口に製粉といっても様々な製品がある。小城製粉では、和菓子の素材である上用粉、上餅粉、寒梅粉、きな粉、かるかん粉など500アイテムを製造販売しており、原料のうるち米や餅米の一部は政府の売却としてオーストラリア、アメリカ、中国産米を使用している。

 これほどの成長を遂げることができた原因について、小城社長は、「価格的にみるとうちの商品は他社のものよりも高いかもしれない。それでも取り引きしてもらうためには、品質の良さに対する信頼と営業マンによるきめ細やかな情報提供が欠かせない。」という。
 品質面では、米穀粉の場合、温度が45度以上になると糊化し劣化するため、他社に先駆けて27年前から低温倉庫で保管している。また、ISOの認証を受け、生産から出荷までの全工程について管理の徹底を図っている。見せていただいた工場は、建屋そのものは決して新しくはないものの、近代的な機械が据え付けられ、製粉工場でありながら床には粉ひとつ落ちていなくて、素人目にも徹底した品質管理のほどがうかがえた。
 
 次に、営業マンによるきめ細やかな情報提供である。同社では、菓子製造部門「のせ菓楽」のスタッフが中心となって、毎月6種類の新商品を開発し、自店での売れ筋を分析したり、モニターに試食してもらった結果をまとめ、営業マンは、そのレシピを持って頻繁に納品先の菓子メーカーを訪問して、売れ筋商品の情報提供を行っている。「のせ菓楽」は、同社のアンテナショップとしての機能も担っていることになる。同社は、営業エリアを九州・沖縄に限定しているが、エリアを拡大するとこのようなきめ細かな顧客対応が困難になるからだという。

 ユニークな商品に自然結晶塩がある。お菓子の原料に使う良い塩を探していたところ、中国の福建省恵安産で、最初は辛いが、1ヶ月、2ヶ月と時間がたつと甘みが出てくる塩に出会った。この不思議な塩は、普通は塩を好まないアリがこれを持っていくことから、「アリが運ぶ塩」と名付けて6,7年前から販売している。また、新幹線開業を記念「新ふるさと産品コンクール」に同社が出品した「川内がらっぱパイ」と「しおあめ」のパッケージは、デザイナーを目指して東京で修行中の次男の手によるものであるが、入賞した「川内がらっぱパイ」は、川内ゆかりのカッパのキャラクターがお菓子の材料であるちりめんを捕りに行くという、ストーリー性のあるものとなっている。

 小城製粉では、数年前から、「トイレ掃除に学ぶ会」を実施している。イエローハットの鍵山相談役の提唱により全国に広がったこの運動に共感した小城社長が社員に呼びかけて始めたもので、年に6回ほど社員総出で川内市内の学校を訪問、トイレをきれいにすることはもとより、トイレを磨くことにより心も磨いている。このことが社員の人間的成長、顧客への奉仕の精神の醸成、生産環境の改善、ひいては会社の発展につながると確信しているという。

 最後に、同社のパンフレットの1節を紹介する。「『三代の粉』祖父から父へ、父から子へ、こだわりの80余年。日本の南から、ちょっと一味変わった、素材本意の頑固な粉屋さん。精進を続けてようやく80年。これからも素材にこだわり、おいしさにこだわり、日本の伝統食文化を応援していきます。」 

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