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私の北京・・・主婦の実感レポート

私の北京・・・主婦の実感レポート

中国北京市 山下るみ子

中国北京市 山下るみ子鹿児島の皆様、こんにちは。
私は鹿児島市出身で、北京歴4年ののんきな主婦です。鹿児島には大学卒業までの22年間お世話になりました。大学卒業後は就職や結婚・夫の転勤などで東京や福岡、さらには中国まで足を延ばしながら各地を転々とし、見聞を広めています(?)。夫も同じ鹿児島県人ということもあり、鹿児島へも毎年一度くらいは帰ります。

今年も3月下旬に一週間ほど鹿児島に里帰りしました。多感な青春時代を鹿児島で過ごした私の脳裏には、桜島と錦江湾の景色が焼き付いていて、桜島を見ると、ああ今自分は鹿児島にいる、という実感に包まれます。北京でもない。東京でもない。湿気を含んだちょっと重めのこの空気も鹿児島の証。懐かしいふるさと。

鹿児島から北京へは、東京経由・大阪経由・福岡経由・ソウル経由などいくつか考えられますが、今回私は大阪・関空経由を利用しました。鹿児島から関空まで1時間、関空から北京へ3時間、計4時間のフライトであっという間に北京到着です。本当に中国は近いのです!

中国と私の関係は、1982年の北京観光に始まり、1986年~1990年までの上海駐在、そして1998年から現在までの北京駐在と長いおつきあいになっています。中国は1995年あたりを境に、急激な経済発展を遂げていますので、それ以前とそれ以後の暮らしは、まるで二つの国にいるかのような錯覚さえ覚えます。

現在の北京での暮らしですか?それはもう、極めて快適です!(老後もここで暮らしても良いと思うくらい?)(そりゃないだろう、と夫?)
そして今の北京を一言で表わしますと?「なんでもあり!」そう、新も旧も、右も左も、裏も表も、真も偽も。。。とにかくなんでもあり!
それらが混ざり合って、混沌としていて、一見滅茶苦茶なようで、しかし目には見えない法則もあるような気がして、やっぱり何がなんだかよくわからなくて。。。でも妙におもしろくて、最初は憤慨していた事もそのうち慣れっこになってしまう、一度踏み入れたら逃れられない不思議な世界。

それでは一主婦の見た北京をご紹介しましょう。

北京はとても乾燥しています。ほとんど雨が降りません。(が、すさまじい雷を伴った泥の雨が降ることも。なんでもあり、です)
春は風。時に猛烈な黄砂も吹き荒れ、砂嵐の洗礼を受けます。とにかくホコリっぽい。
夏は烈暑。40℃以上の日も珍しくありません。乾いた大地に直射日光ギラギラ。中国人はよくサングラスをかけていますが、伊達ではありません。
秋は一転さわやか。まさしく北京秋天!空がこんなに高いのか、と驚かされます。
冬は寒くて大乾燥。静電気がビリビリ。よく喉をやられます。風邪も引きます。鹿児島の温帯湿潤性気候の中で育った身体には、大陸性乾燥気候は大敵。。。でも大丈夫!風邪によく効く漢方薬もあります!それに不思議なもので、住んでいるうちに次第に身体が気候に順応してきます。(ただ鈍感になっただけ?)お風呂上りのスキンケアは欠かせませんが、乾燥も慣れてくれば何とかなるものです。そう、なんでもあり、の次は、なんとかなる!です。

北京の人たちは、暑くても寒くてもとにかく元気です!よく食べ、よく笑い、誰とでも気軽におしゃべりして、とっても楽しそう!外に出て、そんな北京&北京市民をウォッチングするのもなかなか興味深いものです。

外出の際は、北京市内はバス路線が網羅されていますので、使い慣れれば安くて便利です。運賃は15円から。空調付きは少々高めで30円から。降りるバス停を紙に書いて車掌さんに見せれば値段と降りる所を教えてくれます。地下鉄も便利です。運賃は45円均一で渋滞なし。
しかしバスも地下鉄も混んでいる時は要注意!スリが狙っています!そこで最も頻繁に使う乗り物はタクシーということになります。流しのタクシーも多く、基本料金も150円から。日本のバス代感覚で乗れます。(複数で乗って割り勘にするとバス代より安い!)北京でいつもタクシーに乗ってるものだから、日本でもつい子供が勝手に手を上げてタクシーを止めちゃうのよ、という逸話もあるほどタクシーはポピュラーです。

すっかり車社会になったとはいえ、中国人の間ではまだまだ自転車も健在です。しかし日本では自転車党の私も北京では怖くて乗れません。何が怖いかって、無法地帯の如き道路を、しかも右側を走るなんて。。。トテモトテモ。。。
道路は日本とは反対の右側通行で、横断歩道もなんと車優先なのです!横断歩道だからといって安心して渡れません。渡るのは、車が来ないのを自分で確認してから。たとえ横断歩道でも右折車は止まってくれません。(日本だと横断歩道に人がいる時は左折車は必ず止まるでしょう?)

大通りを渡る人
大通りを渡る人

横断歩道は赤信号!
横断歩道は赤信号!

そんな訳なので大通りを渡るのは一大事。近くに中国人がいる時はくっついて一緒に渡ります。くっつき方も重要で、車が来る方に中国人に立ってもらいます。センターラインに来たらさりげなく位置を変え、また車が来る方に中国人を。そうしないと、自分だけ置いてきぼりにされてしまうから。中国人の動きに合わせて一緒に渡るのが安全です。彼らは車間距離を読みながら、実に巧みに渡ります。横断歩道も油断は禁物で、むしろ信号のない所を車が途切れたときに渡る方が安全なくらいなので、人々は自分の都合に合わせて自由に大通りを渡り歩きます。さらには、渋滞している車の間をまるであみだくじを引くようにヒョイヒョイ渡る中国人!なんて器用な!でもまたそれが渋滞の原因にも!

ドライバーによる割り込みも日常茶飯事です。人の迷惑は考えず、譲り合いの精神はどこへいったやら、とにかく行け行け!で進みます。3車線の道路を4台の車が走っていたり、ウインカーなしの神業的車線変更もあり。なんてマナーが悪い、と最初は思いましたが、自分の身は自分で守り、きちんと自己主張している中国人。彼らに言わせれば、信号が赤だからといって、車が通らないのに律儀に待っている日本人の方がおかしいのだそうです。なるほど、所変れば、考え方も変るものです。

中国語も、片言でもしゃべれるとなにかと便利です。タクシーに乗る時や、自由市場で買い物をする時、特に値切り交渉をする時は必要になります。「必要は学習の母」でしたか(?)、「いくら?」「高い!」「負けてよ!」「別なのある?」「いる」「いらない」等の中国語はすぐに覚えます。数字も。
私の友人で買い物達人のSさんの場合、まず1個15元の物を12元に値切ります。そして10個買うから110元にして、とさらに値切りを進めます。15元のを12元にしたんだし、だめだめ120元じゃなきゃだめ、と言われたら、即もう1個足して11個にして、じゃあこれで120元にして!はい、ありがとう。バイバイ!という見事な買いっぷりです。日本人もどうして、なかなかたくましいものです。

店員さんと交渉中(服飾自由市場)
店員さんと交渉中(服飾自由市場)

若い人に人気のアクセサリー売場(服飾自由市場)
若い人に人気のアクセサリー売場(服飾自由市場)

自由市場では、野菜や果物の他に服やアクセサリーも売られていて、しかもデザインも流行のものがあるので、楽しみながら買い物ができます。値段交渉も微妙にして大胆。そしてこの駆け引きがたまらないのです!例えば、セーターが200元で売られているとします。「高いねえ。。。」とまずはため息風に。「いくらなら買う?」の問いに、(え~と、3分の1は70元弱だからこれくらいならいいかな)、と心の中で密かに計算して「そうねえ。。。60元なら。」と返事。お店の人、ちょっと考えて「よし、OK。友達だもん、60元でいいよ!」(えっ、60元でいいの?だったら50元って言うべきだった!)70元で買っても良い、と踏んでいた物をあっさり60元で落札してしまったものだから、一体、このセーターの本当の値段はいくらなのだろうという疑問が残ります。ましてやセーターに「カシミア100%」のタグが付いていたら、???いきなり値札の3分の1に値切る客に、初対面でも「友達」という店側。なにしろなんでもあり、ですから。

200元の物を60元と値切って、「そんな値段じゃとても売れない!」と一蹴されることもあります。そんな時は「じゃあ、いらない」と帰る素振りをすると、「まあ、友達よ、待って!100元ならどう?」と呼び止められます。すかさず「100元?80元にして!」と粘ると「いや85元!」とお店の人。こんな風にいじらしい交渉が続きます。
少しでも安く買いたいこちら側と、少しでも高く売りたいあちら側。安く値切って買ったつもりでも、結局は向こうが儲かっているのでしょうけれど。。。買い物は、北京在住の奥様方の大いなる楽しみのひとつです。ちなみに1元は約15円です。

こんな北京で、何が快適な生活かですって?
怖い思いをして道路を渡ったり、自由市場でボラれてるかもしれないのに。。。?私にとっては、日本では味わうことのできないささやかなことのひとつひとつの積み重ねが、楽しみになっているのだと思います。
中国の自然、中国人の物の考え方、生き方に接するのが、おもしろいのです。地理的に近く、歴史的に大きな影響を日本に及ぼした中国。似て非なる国、中国。中国人から見た日本人は、おとなしく礼儀正しいそうです。が、その礼儀正しさが時にはウサン臭かったり、水臭かったり。価値観の多様性に心が惹かれます。経済発展のおかげで、モノは格段に豊かになり、生活は正しく快適です。

4年前に夫の北京駐在が決まった時、私は東京で仕事を持っていました。気に入っていた、その仕事を辞めて北京へやって来たのは、前回の上海駐在が当時はモノもサービスもなく不便だったけれどとにかく楽しかったこと、今回北京でもきっと新しい出会いや発見があるだろうと期待したからに他なりません。そして予想通り、北京は私を楽しませてくれています。
今回は書きませんでしたが、北京で出会った日本人同士のおつきあいもまた楽しいものです!趣味やボランティアを通して知り合った奥さん同士、日本に一時帰国するたびに連絡を取り合って、会っています。北京では、日本ではお目にかかれないような方々と出会うチャンスがあります。年齢を超え、夫の会社を超え、気の合った仲間同士のおつきあいはこれからも永く続くものと思われます。

北京。大好きな街!ありがとう!

筆者紹介:山下るみ子 氏 北京在住。鹿児島市出身。
ご主人は国分市出身で北京山九北海物流有限公司総経理 山下政博 氏です。

鹿児島と上海の交流発展によせて

鹿児島と上海の交流発展によせて

(財)日中経済協会上海事務所  所長 﨑岡 洋右

対岸から見る景色も時代によって異なるイメージを与えられるものとそうでないものがある。その対岸というのは外灘だが、ここはオールド上海を今も強く感じさせてくれる所だ。日本の懐メロのいくつかには「上海ブルース」をはじめ、いくつかの懐かしの上海を歌った名曲があり、私の年齢以上の人達には、これらの名曲から上海のなんとなくロマンチックなそしてなんとなく怪しいまでの魅惑を感じるイメージを持っておられるだろう。”夢の四馬路”、”ガーデンブリッヂ”等という懐メロの中にでてくる言葉はいやでも感じさせるオールド上海のイメージそのままである。
このガーデンブリッヂ(現在は外白渡橋という)は外灘の端にあり、これを渡ると旧日本共同租界(現在は虹口区、ホンキューと言ったほうが年配者には通りがよいと思うが)に入るのだが、この外灘から黄浦江を挾んだむこう側である浦東新区を見ると、そこには新しい上海を象徴するような風景に一変し,大発展の上海を誇示するような摩天楼の群れが見られる。タイムスリップして1930年代に帰った上海を感じる外灘から、対岸は一挙に2002年の上海がそこにある。この感じが私はとても好きなのであり、発展の代名詞となっている上海、活気の坩堝の中にいる状況はそれはそれで良いのだが、なんとなく心に物足りなさを感じる。
そこで思い出すのは、8年以上も前の鹿児島勤務時代に毎朝毎晩オフィスから見たあの雄大な桜島の景色である。そこには外灘や浦東のような華やかさはないが、見るものの心に自然の素晴らしさと、人生とは何かを深く感じさせる何か尊いものを感じさせてくれた。上海生活も通算4年半になり、ここの生活も大いにエンジョイしているのだが、今でも忘れられない鹿児島の懐かしさ、そして桃源郷のような温泉の豊富な鹿児島の良さを与えてくれた鹿児島の皆さんに今も感謝している。
1994年7月に長いソウル勤務から直行して鹿児島に3年、そして又上海勤務になり、鹿児島を挾んで二つの隣国を体験した。当時の上海は中進国韓国から見るとかなり遅れた発展途上地域という感であったが、今やその面影は少なくなりつつある。今や上海は世界の注目を集め、日本企業が熱い目差しを注いでいるホットな地域である。この地域が鹿児島からわずか1時間20~30分の距離の所にある。考えようによっては鹿児島は宝の地域を抱えているようなものである。香港、シンガポールとアジアで重要な発展地域との長い交流実績のある鹿児島は期を逃すことなく、有利な経済的地理条件を上手な戦略に取り入れ地域経済の発展に連げてほしいと期待しているところである。鹿児島大好き人間、上海大好き人間の私としては両地域が手を取り合ってアジアの発展に寄与してもらえればなによりも喜しい事であり、鹿児島の皆さんのために私に何かできることがあれば及ばずながら力になりたいと考えている。

(財)日中経済協会上海事務所連絡先:
中華人民共和国上海市延安西路2201号 上海国際貿易中心大厦2001号
電話:86-21-62701647 FAX:86-21-62752211
(筆者は1994年7月~1997年7月までジェトロ鹿児島貿易情報センター所長として勤務)

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