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食料品

南海食品㈱

会員者情報

企業名 南海食品株式会社
所在地 鹿児島市谷山港3丁目4番17号
電話 099-262-3666
名前 代表取締役社長 渕本 逸雄 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2005,10月号掲載)

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鹿児島月揚庵(南海食品株式会社)のつけあげは、全国向けとなっている郵政の「ふるさと小包」の人気商品として扱われているほか、コンビニにおいてあるカタログでの販売も行っており、お中元、お歳暮、父の日、敬老の日などのイベントなどでもかなりの需要がある。カタログ通販での売り上げは順調に伸びており、年末やお中元月には注文が集中するため、従業員も夜中まで働いてもらっているとのこと。

 南海食品株式会社は昭和38年に海産珍味加工製造業として発足した。創業者は現社長逸雄氏の父、敏太郎氏で串木野に九州唯一のフグ専門加工工場を設立し、下関・広島方面のふぐ加工場や大阪・神戸の中央市場に出荷していた。
 珍味を真空パック化する機械を鹿児島で初めて導入したのは南海食品で、日持ちの関係で地元消費しかできなかったさつまあげを真空パックにして県外へも売ってみたのが、後にさつまあげを始めるきっかけとなった。
 地元で消費されるさつまあげを、土産物として通用する商品へと高めたのは南海食品の試みがあってのことであると言える。しかし、最初は真空パックにピンホールが空いていたり、シールがきちんと貼られていないため商品が腐り、返品がかさむなど失敗だらけだったという。

 フグの漁獲量の減少や安価な海外製品の流入の影響で業務拡大が必要となり、昭和54年に新たに株式会社南海屋を設立し、さつまあげの製造を開始した。
 逸雄社長は平成7年に株式会社南海食品の社長に就任。弟の敏朗氏は株式会社南海屋(平成17年4月に株式会社敏太郎に社名変更)をまかされた。南海屋で「月揚庵」の商品を製造し、南海食品が販売を受け持ってきた。
 
 平成10年に三越の日本橋本店にさつまあげの直売店を出す際に、珍味屋のイメージが強い南海食品ではなく、もっとさつまあげ屋らしい名前を付けたらどうかというアドバイスを受け、さつまあげのブランド「月揚庵」という名前を付けた。鹿児島県出身であるタレントの坂上二郎さんのPR効果もあり、若者への知名度も高い。
 また、三州クラブや関東県人会にも入って、関東方面の月揚庵のファンを増やしてきた。

 同社は、さつまあげでは後発のメーカーであるが、県外の人をターゲットにして味覚を徹底的にリサーチし、お土産やお中元、お歳暮用の商品として、ニーズに合うよう甘さをセーブした商品を開発した。東京などでは甘いものはあまり好まれないが、甘さがないと東京のはんぺんや福岡のてんぷらと同じになってしまう。工夫を重ねた結果、さつまあげの特徴である甘さは残しつつ、県外の方からも支持される商品が生まれた。自社製品に自己満足していては伸びていかない。さつまあげの中に、サツマイモやレンコンなどを入れた商品を作ったのも南海食品が最初であった。

 敏太郎(旧南海屋)では、新しい商品の開発だけではなく、安全性に対する徹底した管理も行っており、平成12年には、国際的品質と衛生管理システムSQF2000及びHACCPの認証を同時に取得した。特にSQF2000の工場としての認定は国内第1号とのこと。工場は社長ですら自由に入れないほどきちっと管理されているという。
 HACCP対策は、地方ではまだまだ認識が薄いのが現状だが、きちんとやっていかなければ中央との競争には勝てない。また、いずれ海外に商品を出す際にも有利となる。
 また南海食品では、お客様の個人情報に対する信頼性を確保するため、プライバシーマークの取得も予定している。

 渕本社長は実演販売に目を付けたのも早かった。まず、さつまあげの需要が安定して多い鹿児島空港ビルに実演販売のコーナーを設けた。実演販売の許可を得るため、各種手続きがあり大変だったが、これを行うことによる売上の効果はかなりあったとのこと。現在は空港のほかにも三越、アミュプラザ、桜島サービスエリア、東京の遊楽館などでも実演販売を行っている。

    
 南海食品では、新工場を建設する予定があり、そこには、さつまあげの研究室もつくる予定だ。新工場では、敏太郎がHACCP認証の関係で限られた生産品しかできないので、南海食品において、手作りの商品などの開発にも挑戦していきたい。

 さつまあげは知名度は高いが、福岡の明太子や熊本の辛子レンコンなどに比べると、まだ全国に浸透しておらず、金額的にも売り上げが低い。県内でも水や、健康食品等を扱う企業が確実に業績を伸ばしているなか、さつまあげも、いろいろと積極的に打って出ていきたい。一歩上を目指すにはどのように展開していったらよいかを常に考えて、足固めはもちろん、県外の練り製品企業との競争も視野に入れ、新たな製品の開発などを手掛けたいと考えている。

小鹿酒造㈱

会員者情報

企業名 小鹿酒造協業組合
所在地 肝属郡吾平町上名7312
電話 0994-58-7171
名前 代表理事 田中 高逸 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2003,3月号掲載)

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当協会に新規加入いただいた「小鹿酒造協業組合」を訪問した。
 同組合は,昭和46年鹿屋市、東串良町、吾平町、佐多町の4社が協業しスタートした。
 昭和53年には鹿屋市の2社がこれに加わった。
 同社は、芋焼酎の主原料サツマイモの最大の産地大隅半島の中央に位置し、いい焼酎造りには絶対欠かせないミネラル分豊富な良質の水を、千メートル級の山々からなる国見山系が惜しみなく与えてくれる。まさに焼酎造りのためにあるような絶好のロケーションである。
 芋焼酎は、イモの銘柄が“大隅産コガネセンガン”でないといけないらしいが、さらに高品質で新鮮なものが常に入手できるようにするために、わざわざ(有)小鹿農業生産組合まで設立したという。たいしたこだわりである。このような努力が実ったのか、創立30周年の平成13年には、ついに年商18億を達成し3万5千石の生産高を誇るまでとなった。
 現在の焼酎ブームの中で,大隅半島の焼酎は幻のイメージがあり首都圏ではかなり人気があるが,最近東京の人から、地元の鹿児島で一番売れている銘柄は何かと良く聞かれるそうである。巷に焼酎愛好家が増えて、本当に美味しい焼酎を知りたいという事だろう。これからは地元で愛される焼酎が一番人気ということになるのだろうか。
 同社の手がける焼酎は,南九州に住む人々の生活に深く根づいた“地の酒”であり,日々の暮らしにうるおいと活力を与えるとともに,食文化の一端を担っている。先人から受け継いだこの焼酎づくりの技と心を次代に残すことが,大きな責務であると代表理事の田中氏はおっしゃる。
昨今の焼酎ブームで,県外出荷量が対前年比110%と伸びているが、大手酒造メーカーも焼酎販売に乗り出し、国内焼酎メーカーに製造委託したり、外国産焼酎を輸入するという情報もある。
 将来的には、同社としても海外生産や輸入を視野に入れ検討していく必要があろうかと思うが、貿易に関しては,今後とも社員を含め,勉強をしていきたいと考えている。
 最後に会員の皆様に
     お勧め銘柄を一つ  鹿児島焼酎小鹿「5年貯蔵原酒げんもん」
     エピソードも一つ 南極越冬隊御用達の焼酎は 小鹿 だそうです。

小城製粉㈱

会員者情報

企業名 小城製粉株式会社
所在地 川内市隈之城町1892
電話 0996-22-4161
名前 代表取締役社長 小城年久 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2004,8月号掲載)

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小城製粉株式会社は小城社長の父、勇一氏(現会長)により昭和41年に設立され、川内市に本社、鹿児島市に営業所を置く。和菓子の原料となる米穀粉業界で九州の一のシェアーを誇る同社は、この業界の中でユニークな存在といわれることが多い。普通は「素材メーカー」から「製品製造メーカー」へと付加価値の高い方へと発展することが多いこの業界にあって、同社は全くその逆をたどってきたからである。

 勇一氏は、義父が営んでいた「のせ菓子」で和菓子の修行の後、独立を図るべく昭和22年にめん工場を新設した。食糧事情が悪かった当時は「めん」を作りさえすれば売れていく時代で、経営はすぐに軌道に乗ったが、昭和28年に火災に会い、工場が全焼する。工場再建について義父に助言を求めたところ、「のせ菓子」で使う米殻粉を製造するよう進められた勇一氏は、和菓子の粉作りの修行を一から始め、小城製粉のスタートとなった。その後、製粉業は順調な成長を遂げ、「のせ菓子」は現在「のせ菓楽」と名前を変えて小城製粉の菓子製造部門として吸収されている。

 東京の大学の工学部で工業化学を専攻した年久氏は、家業を継ぐ前に食品について専門的に勉強したいと考え、卒業論文のために大学4年の時、農林水産省食品総合研究所に研修生として入所した。同研究所では、鹿児島特産「かるかん」の原料である山芋のフリーズドライの研究に取り組むなど多くのことを学ぶことができた。また、もともと人好き、世話好きであった年久氏は、「のせ菓子」で作った「かるかん」をぶら下げては、食品関係の研究者などを訪問し、「かるかん小僧」というあだ名をいただくほど可愛がってもらった。この当時、知己を得た多くの方々は、今日においても様々な面で年久氏の貴重な財産になっているという。

 3年間の研修を終えた年久氏は、昭和48年に小城製粉に入社、専務を経て平成2年に父勇一氏の跡を継ぎ社長に就任。その後、同社は急成長し、昭和60年頃約3億円であった売上高は、現在では15億円を超えるまでになった。その内訳は、製粉が9割、菓子と米の精米小売りが1割で、製粉のウェイトが圧倒的に大きくなっている。一口に製粉といっても様々な製品がある。小城製粉では、和菓子の素材である上用粉、上餅粉、寒梅粉、きな粉、かるかん粉など500アイテムを製造販売しており、原料のうるち米や餅米の一部は政府の売却としてオーストラリア、アメリカ、中国産米を使用している。

 これほどの成長を遂げることができた原因について、小城社長は、「価格的にみるとうちの商品は他社のものよりも高いかもしれない。それでも取り引きしてもらうためには、品質の良さに対する信頼と営業マンによるきめ細やかな情報提供が欠かせない。」という。
 品質面では、米穀粉の場合、温度が45度以上になると糊化し劣化するため、他社に先駆けて27年前から低温倉庫で保管している。また、ISOの認証を受け、生産から出荷までの全工程について管理の徹底を図っている。見せていただいた工場は、建屋そのものは決して新しくはないものの、近代的な機械が据え付けられ、製粉工場でありながら床には粉ひとつ落ちていなくて、素人目にも徹底した品質管理のほどがうかがえた。
 
 次に、営業マンによるきめ細やかな情報提供である。同社では、菓子製造部門「のせ菓楽」のスタッフが中心となって、毎月6種類の新商品を開発し、自店での売れ筋を分析したり、モニターに試食してもらった結果をまとめ、営業マンは、そのレシピを持って頻繁に納品先の菓子メーカーを訪問して、売れ筋商品の情報提供を行っている。「のせ菓楽」は、同社のアンテナショップとしての機能も担っていることになる。同社は、営業エリアを九州・沖縄に限定しているが、エリアを拡大するとこのようなきめ細かな顧客対応が困難になるからだという。

 ユニークな商品に自然結晶塩がある。お菓子の原料に使う良い塩を探していたところ、中国の福建省恵安産で、最初は辛いが、1ヶ月、2ヶ月と時間がたつと甘みが出てくる塩に出会った。この不思議な塩は、普通は塩を好まないアリがこれを持っていくことから、「アリが運ぶ塩」と名付けて6,7年前から販売している。また、新幹線開業を記念「新ふるさと産品コンクール」に同社が出品した「川内がらっぱパイ」と「しおあめ」のパッケージは、デザイナーを目指して東京で修行中の次男の手によるものであるが、入賞した「川内がらっぱパイ」は、川内ゆかりのカッパのキャラクターがお菓子の材料であるちりめんを捕りに行くという、ストーリー性のあるものとなっている。

 小城製粉では、数年前から、「トイレ掃除に学ぶ会」を実施している。イエローハットの鍵山相談役の提唱により全国に広がったこの運動に共感した小城社長が社員に呼びかけて始めたもので、年に6回ほど社員総出で川内市内の学校を訪問、トイレをきれいにすることはもとより、トイレを磨くことにより心も磨いている。このことが社員の人間的成長、顧客への奉仕の精神の醸成、生産環境の改善、ひいては会社の発展につながると確信しているという。

 最後に、同社のパンフレットの1節を紹介する。「『三代の粉』祖父から父へ、父から子へ、こだわりの80余年。日本の南から、ちょっと一味変わった、素材本意の頑固な粉屋さん。精進を続けてようやく80年。これからも素材にこだわり、おいしさにこだわり、日本の伝統食文化を応援していきます。」 

中原水産㈱

会員者情報

企業名 中原水産株式会社
所在地 枕崎市東本町74-1
電話 0993-72-2211
名前 常務取締役 中原 晋司 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2009,1月号掲載)

常務取締役 中原 晋司 氏

中原水産(株)は1948年6月に先代の中原與一氏が中原與一商店を創業したところから始まる。1953年から鰹節の製造を開始し、1976年1月に中原水産(株)を設立。1995年から珍味・塩干事業を開始している。
海外との関わりとしては、魚のエサの原料の輸入や、水産物の輸出・輸入を商社を通して10年ほど前から行っている。主な取引先はアメリカである。
現在は枕崎市で水産物加工と卸売りを行っている中原水産(株)であるが、創業当時は、鮮魚の他、アイスクリームやさつまあげなども扱うなんでも屋だったそうだ。代表取締役の中原耕司氏は現在2代目で、社長が29歳の時に先代が病気で亡くなった後を継いだため、当時はその若さ故に大変な苦労をなさったが、世界中で操業するマグロ漁船のエサ事業を確立させた。
中原常務の兄である専務は築地で修行してきたいわば魚のプロで、現在現場責任者として主に、枕崎港に揚がる魚の仕入れ、販売を担当している。
今回お話を伺った常務の中原晋司氏は、今年、中原水産(株)に入社。以前はコンサルティング会社や、「育成した事業を販売する」というユニークな会社に勤務した経験を持つ。そこで無添加惣菜を宅配する事業の育成などに携わり、世の中の流れを読みながら顧客のニーズを把握し、ニーズに見合うサービスを提供する仕事のおもしろさを覚えたという。
中原水産(株)では枕崎で水揚げされた魚を仕入れ、鮮魚・冷凍・加工した形で全国の魚市場・卸・スーパーなどの小売りに販売をしている。鰹節類の加工では、主に業務用のサバ節の生産を行っており、そばやうどんなどの和風汁物のだし用として全国の問屋に卸している。最近はサバ節の扱いが減少傾向にあり、地場で捕れるアジやイワシなどのすり身や珍味などの加工の割合が増加している。
中原常務が今、特に力を入れているのが、珍味の加工である。
アジを原料とした「鯵の焼きひもの」は、くさやの製法を活かして骨や皮を取り除いた一口サイズの干物で、袋を開けてすぐに食べられる手軽さと、品質の確かさで勝負していきたいということで、これからは消費者のニーズをうまく捉えて新しい商品を開発していく事が大事だと考えていらっしゃるようだ。
「鯵の焼きひもの」にはマヨネーズの小袋も同封されており、幅広い層の消費者に好まれそうだ。おやつとして、また地場の特産品である焼酎にも良く合う味付けとなっている。骨付きの鯵を油で揚げた「鯵のカリッコ」や、鰹の切り身をしょうゆにつけた「フレッシュ鰹身くん」といった商品などは、既に鹿児島空港や県内のスーパー、コンビニ、首都圏の百貨店などで販売されている。
水産業界は環境に大きく左右される変化の激しい業界であり、常に挑戦していく姿勢が重要となる。中原水産(株)は一貫して生産者と消費者をつないで本物を提供していくという姿勢にこだわってきた。
消費者に自信を持って薦められる物、付加価値のあるものを提供していく事で、食の楽しさ、安心さを提供できる喜び。「魚をもっと食べてもらいたい。」という強い気持ちがあり、それを伝えていくのが自分の仕事だと熱心に中原常務は語られた。
余談であるが、珍味を製造している工場に案内していただいた際に、工場の建物は鯵のひらきの形になっているとの説明があった。残念ながら地上から確認することはできなかったが、指宿から枕崎方面に車を走らせる機会があればぜひ建物にも注目していただきたい。
<取材:諏訪・永田> (2009 年1月号掲載)

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