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インタビュー

日本有機㈱

会員者情報

企業名 日本有機株式会社
所在地 曽於郡末吉町諏訪方4122番地
電話 0986-76-1091
名前 代表取締役社長 野口 愛子氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2002,9月号掲載)

代表取締役社長 野口 愛子氏

日本有機(株)は,大隅郡末吉町に本社を置き、昭和53年3月1日設立され 有機農業資材の製造販売を手掛けて、有機肥料は台湾にも輸出されている。
 同社は「土・健康・環境づくりを通して未来へつなぐ安全・安心な食づくりを目指す。」をモットーに成長を続けている。
 近年,「薩摩鴨」の全国展開を手掛けており、よく引き締まった厚みのある肉質,鴨肉本来の深い味わい,そして,脂肪のおいしさが,料理の専門家から高い評価を得て高級食材として認知され、有名店からの引き合いも多い。これは、「薩摩鴨」が鴨肉の最も優れた品種を見い出すべく,鹿児島大学で約5年間にわたって研究、選抜,育種を繰り替えして,ついに中国系在来種をベースに誕生した品種であることによる。
 ところで、同社の最近の一押し商品は、「くろず納豆(にんにく入り)」で,健康食品ブームに乗ってかなり脚光を浴びているという。これは、黒酢もろみ末,納豆,にんにくのそれぞれの健康要素が相乗効果となって,一粒のカプセルに凝縮された健康食品である。花粉症が解消された,血糖値が下がった等の喜びの声が全国から寄せられているそうだ。
 社長は、大消費市場となった上海を初めとする中国の市場に、この商品をひっさげて参入したいと意欲満々である。
(貿易ニュース鹿児島2002.9月号掲載)

斯文堂㈱

会員者情報

企業名 斯文堂株式会社
所在地 鹿児島市新屋敷町14-16-2F
電話 099-226-2092
名前 常務取締役 内野 俊之 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2006,11月号掲載)

常務取締役 内野 俊之 氏

今回は,本誌「貿易ニュース鹿児島」の印刷,製本をお願いしている斯文堂印刷株式会社を訪問し,お話をお伺いした。

 斯文堂は,本業の印刷業者として県内では老舗で大手であるが,近年は「TJカゴシマ」といった月刊誌や温泉・旅,グルメ,ファッション雑誌などを幅広く出しているパブリッシャー(出版社)としての顔の方が県民には馴染みが深いかもしれない。

 昭和55年に発行されたTJカゴシマは鹿児島で初めてのタウン誌である。県内の旅,温泉,グルメ,イベント,映画・コンサートなどの最新情報を掲載し,特に若者層に支持されてきた雑誌である。県内の主要な書店,コンビニにおかれ現在3万6千部が発刊されている。
 さらに「温泉」,「グルメ」,「ブライダル」,「家づくり」,「夏イベント」といったジャンル別に掘り下げたムック本・ガイドブック本も好評である。こちらは,TJカゴシマの別冊版として2~3年毎に再発行され,保存版として重宝がられている。
よりターゲットを絞り込んだこれらムック本は読者とクライアント(広告依頼者)を直接つなぐ仕掛けがいろいろ盛り込まれていることから,宣伝・販促効果が大きいとクライアントに喜ばれているという。

 平成12年には,高校生,大学生などのティーンをターゲットにした「ネーム」という月刊誌を発刊している。「ファッション・アパレル」,「音楽」,「アート」などに絞り込んだ内容は流行に敏感な若者の支持を得ている。こちらは月に2万部の発行だ。

 しかし現在,タウン誌も厳しい環境にはある。フリー紙(誌)の台頭,インターネット,携帯電話などの急速な普及,県外資本の参入などである。
 これらの影響を受けて維持発行部数が落ち込んだ時期もあったが,最近はかなり持ち直し安定さを維持しているという。
 地域密着型の役立つ情報,足でかせいだ価値ある情報,充実した内容が堅調な購買につながっているようだ。

 もちろん,タウン誌,ムック本だけでなく,印刷,デザインの分野でも高い評価を得ている。今,官公庁の主要なポスター,パンフレット,広報誌等はデザインコンペ・企画コンペで厳しい審査を経て選定されているが,斯文堂はこれら厳しい競争を勝ち抜いてよく受注している。企画力・デザイン力のある証拠だろう。

 もちろん官公庁だけではない。企業,クライアントが求める多様なニーズに対して市場調査に基づく戦略的な販促活動,宣伝活動を提案し,クライアントのメッセージを的確に伝えたいと願っている。

 環境保護が叫ばれて久しい。特に,紙に対しては世間の関心も高い。
 このようなことから環境保護にも積極的に取り組んでいる。官公庁の印刷物はほとんど再生紙であるが,民間企業にも再生紙を使ってもらうよう積極的に働きかけている。 印刷を出力する機械も省資源型で,汚染物質の排出の少ない機器を導入している他, インクも自然素材から作られた大豆油インクを使うなど会社をあげて環境運動に取り組んでいる。
 また,リサイクル運動の一環として「TJカゴシマ・ガレージセール」と銘打ったフリーマーケットを20年ほど前から開催している。これらの姿勢が評価されて平成13年には印刷業者として県内では初めて「ISO14001」の認証を取得している。

 印刷・製本・情報誌を巡る環境は,AT機器やインターネットの普及などで厳しい環境にはあるが,これまで築いてきた信頼,実績を基に企業のよりよきパートナーとして,また,いいものをじっくり作り読者に最新の価値ある情報を発信できる印刷,出版業者として着実な発展を目指している。

(貿易ニュース鹿児島2006.11月号掲載)

㈱コンテック

会員者情報

企業名 株式会社コンテック
所在地 鹿児島市紫原6丁目1番18号
電話 099-206-3939
名前 代表取締役  堂園 哲也 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2006,2月号掲載)

代表取締役  堂園 哲也 氏

コンテナの販売、レンタルを行う株式会社コンテックは、㈱カーネギー産業を中核とするKSSグループの一員として平成11年に設立された。農家の四男に生まれた堂園社長は、自分の才覚と努力次第で道が開ける商売に魅力を感じ、商売を覚えていつか独立したいという夢を持っていた。京都のポンプ製造販売業者に勤めていた18歳の頃、「道は開ける」や「人を動かす」などデール・カーネギーの著書に接し、今までの自分にない世界が広がっていくような感動を覚え、いつか独立したときには「カーネギー」の名を屋号か社名に使いたいと心に決めていた。

 夢は昭和51年に社長が23歳の時、カーネギー産業として実現することになる。当初は、離島の建設業者等を相手に土木資材、船舶用品の販売をスタート、その後、鹿児島市場でも営業を展開し、建設工事、土木工事における特殊部門の資材販売、工事請負の分野で業績を伸ばした。現在、堂園社長は、㈱カーネギー産業、アジアテック㈱、㈱コンテック、一本桜温泉センター、和食亭桜処からなるKSSグループの代表を務め、全体の従業員数は160名ほどになる。グループの企業理念は「豊かさ追求」、物心ともに豊かな生活を創意と行動で築き上げようというものある。

 自社で市内にコンテナハウスを造ったのをきっかけに、堂園社長はコンテナの多様な可能性に注目、新たに会社コンテックを設立することになった。コンテナの製造は、現在、上海、大連などの中国沿岸部が中心地となっている。手作業が多いので人件費が安いこと、運搬の関係で海が隣接した地域が適しているからである。これまで東京の商社を通じて購入していたが、コスト削減を図るため昨年から直接輸入するようになった。

昨年4月、鹿児島大学を卒業した中国人留学生の金さんを採用したことで、中国の工場
と直接交渉ができるようになったことも大きい。
 
 コンテナには標準コンテナのドライコンテナ(10、12、20、40フィート)と、冷蔵・冷凍用のリーファコンテナ(12、20、40フィート)がある。コンテックは鹿児島市の七ツ島にコンテナヤードを有しており、鹿児島-沖縄・奄美航路をはじめ県内の船会社で使用されるリースコンテナの約7割をカバーしている。船会社自身もコンテナを所有しているが、メンテナンス等の問題から最近はレンタルの需要が増えているという。

 貨物輸送用以外にもコンテナの用途は幅広い。自由に温度調節ができるリーファコンテナは、焼酎会社の原料さつまいも、食品会社・デパートの生鮮食品の貯蔵庫などとしても利用されている。ドライコンテナは、トランクルームとして一般的に利用されているが、休息所、切符売り場、簡易店舗などのほか、数本を組み合わせることで事務所や住宅などにも利用可能である。設置、移動が簡単で、施工の費用や日数を大幅に削減することができるのも魅力である。コンテックでは、コンテナの様々な利用方法を開発・提案しており、中国の工場での製造、鹿児島での設置や内外装仕上げなど、用途に応じた柔軟な対応が可能である。       

 中国で製作したコンテナを運んでくる時には、その中に商品を入れてくることもあり、最近ではコンテナで運ぶ中身にも関心を持つようになった。堂園社長の中では、コンテナを活用した中国と鹿児島の物流の拡大のための新たな構想が膨らみつつある。
  (貿易ニュース鹿児島2006.2月号掲載)

㈱CTD

会員者情報

企業名 株式会社CTD
所在地 鹿児島市鴨池新町5-6-602
電話 099-253-8355
名前 代表取締役社長 稲田 嵐 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2003,4月号掲載)

代表取締役社長 稲田 嵐 氏

稲田社長は,今をときめく中国一の大都市上海出身の生粋の中国人である。
彼の興した「大陸貿易開発株式会社」(1995年設立)は、鹿児島でいま最も成長を続けている会社の一つである。

 さて、稲田社長は、実は会社を興す前はマッサージ治療院を鹿児島で開院していたらしい。常連客には会社経営者も多く、中国出身であるが故に、中国との貿易について色々相談されることもたびたびだったらしい。中国との取引は大変だ,失敗した,どうしてもふみきれないという話である。
 これが彼を転身させるきっかけになった。発展を続ける上海に親類・縁者・友人が多く、中国人の仕事に対する考え方がよく分かっていることから、日本企業との橋渡しにビジネスチャンスを見いだし、会社を設立した。「大陸」という名は、もちろん中国のことである。
 会社の主な業務内容は,①中国企業の紹介や中国での委託生産の代行 ②中国への輸出③中国での合弁企業等設立の際の立地条件や合弁相手の紹介,現地のマネージメント等である。
 今のところ、収益の柱は,ブライダル専門店や,飲食店等商業店舗の装飾用建築資材の中国からの輸入であるが,付加価値を付けるために東京の関連会社に有名デザイナーを雇い、そのデザインを,CADシステムのある中国の設計事務所で設計させて,さらに中国の工場で生産させている。色々な失敗もあったが,安い製品の輸入だけでは注文は来ない。付加価値をいかに付け、洗練された顧客のニーズにマッチさせるかが大事である。最近の取引先はほとんどが東京や大阪になった。
 昨年は全国の銀行からの依頼も多かった。上海,広州,アモイ,泉州等にある現地中国企業視察ツアーを企画し、これを10回以上実施した。このほか,各種のセミナーでの講演も良く依頼される。先日は貿易協会共催の「中国進出セミナー」も講演した。  本社を鹿児島市与次郎に置き,東京支店は東京都台東区に、中国安徽省除州市にグループ関連会社として,最高品質の蜜蜂を生産する「日中合弁安徽蓮花蜂産品有限公司」を,上海には、市場のリサーチからコンサルティングまで行う「上海櫻島貿易有限公司」を設立した。
 稲田社長は、月の1/3ずつぐらいをそれぞれ鹿児島、東京・大阪、そして中国で過ごす。健康には人一倍気を使う社長も、大忙しで、趣味のバトミントンやゴルフもあまりできない。
社長にとっては日本、中国どちらも自分を育ててくれた大事な「ふるさと」である。 どちらの国もともに成長していくようにしたいし、又その様にしていくこと自体が会社の信用力も高めてくれると思う。お互いにwin-winでないといけない。
 日本人は中国人のメンタリティを考えずに言いたいことを全て言ってしまうため、商談がうまくいかなくなることが度々あるし,日本の技術者も優秀なのは分かるが、中国は中国のやり方で今までやってきたものを、全て変えて日本のやり方をさせようとするので、反発も大きくうまく動かず失敗することもよくある。
 両方が納得するためにはそれなりのテクニックも必要であり,バランス調整能力が求められる。
 最後に、鹿児島の発展は,若い世代の人たちにいかに海外を見てもらうか,海外ビジネスに興味のある若者をどうやって育てるかにかかっていると思う とのことでした。
(貿易ニュース鹿児島2003.4月号掲載) 

RH輝北プレスウッド(株)

会員者情報

企業名 輝北プレスウッド株式会社
所在地 曽於郡輝北町下百引3185-1
電話 0994-86-1552
名前 代表取締役社長 徳留 弘孝 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2005,8月号掲載)

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輝北プレスウッド株式会社の設立は平成6年。親会社は鹿屋市に本社を置く建築会社の丸栄建設株式会社で、徳留社長は同社の取締役会長も務めている。大阪の呉服店で2年間の修行後に帰郷した徳留社長は、鹿屋市で衣料品の販売を開始、昭和44年に株式会社丸栄を設立した。衣料品販売が順調に伸びる中で、新たな事業展開について検討した結果が建築業であった。昭和52年に建築業許可を取得、社名を現在の丸栄建設に変更した。もともと建築については素人であったため、日本各地に出向き各種建材について勉強しながら、自ら軽トラックで受注確保に走り回った。昭和50年代は、建築業の成長期であったこともあり、初年度5、500万円、2年目1億2千万円と売り上げが倍増、4年目にはAランクの業者と肩を並べるまでに急成長した。以降、同社では、住宅やマンション建設を県下一円で展開し、現在の年間売上高は約25億円となっている。
  
 次に、輝北プレスウッド設立のきっかけである。もともと山と木が好きな徳留社長は、戦後植樹され伐採時期を迎えているにもかかわらず輸入外材に押されて山に放置されている杉を有効利用できないか、常々考えていた。このような中で東京の「市浦都市開発コンサルタント」の小林社長に出会い、同社長が考案した「RH構法」の実用化に協力して取り組むことになった。RH構法とは、柱・梁部材に大断面の集成材やLVL(構造用単板積層材)を使用し、柱・梁の接合部に穿孔して異形鉄筋を挿入したうえで接着剤を孔の空隙に充填、硬化させることによって剛接合する構法である。これまでの木造建築の課題となっていた構造強度、耐火性、品質安定性などを大断面構造用木材を用いることで解決するとともに、接合部を剛接合することで、耐力壁や筋違いのないシンプルで自由な建築空間を作り出すことが可能になり、継ぎ手の金物が見えないので見た目も美しい、などの優れた構法である。両者の共同研究の結果、平成4年に世界で初めて実用化に成功した。

 共同研究の過程で徳留社長はLVLに強い関心を持ち、実用化が進んでいたヨーロッパの生産ラインの視察に出かけた。LVLは長さ1㍍の単材にカットした材料を厚さ3㍉のラミナ(薄板)に桂剥きにしたものを、繊維方向を互いに平行にして積層接着して厚さ30~50㍉の単板に加工したものである。RH構法では、この単板を二次接着して更に任意のサイズに加工した構造用LVLを使用することになる。木材の太さや曲がりなどに関係なく、製材に比べて数倍の歩留まりが望めることから国産杉の有効利用に役立つと直感した徳留社長は、丸栄建設の社長を息子に譲り、平成6年に輝北プレスウッドを設立した。同社では、RH構法の加工・販売を手がけるとともに、杉のLVLの試作品を作り、県工業技術センターの協力を得て材料実験、強度試験を重ねてデータを

収集した。このデータをもとに建設省(現国土交通省)や農林水産省に働きかけた結果、平成11年に構造用LVLのJAS規定の規格見直しが実現し、杉の構造材としての用途が大きく拡大することになった。

 現在、輝北プレスウッドでは、構造用LVLについては断面2.4㍍×1.2㍍、長さ12㍍まで加工でき、これをつなぎ合わせることで約60㍍スパンの建物を建設したことがある。また、大断面構造用集成材については、断面25㌢×1.8㍍、長さ24㍍まで加工できる。これらの材を使用したRH構法により、県内では加治木町や川内市の公営住宅、川辺町の道の駅、知名町立武道館など、県外では神戸市営住宅、広島県のウッドアリーナ、熊本県の相良北小学校などが建設されている。
       
 徳留社長と海外との関わりであるが、17年前、衣料品店で販売する毛皮製品を中国から輸入したのが始まりである。その後、建築部門が急速に拡大する中で、建材やインテリアなど住宅関連製品の占めるウェイトが高くなってきた。丸栄建設本社敷地内にある「まるこみプラザ」では、1階に床材・壁材・ドアの展示場や照明器具、カーテンなどが、2階にインテリアや生活雑貨、絵画などが展示されているが、その多くは中国、東南アジア、ヨーロッパなどからの輸入品であり、県内では類を見ない豊富な品揃えとなっている。また、今年3月には、当貿易協会の呼びかけに応え、上海の「華東交易会」にRH構法の模型や集成材の見本を出展し、中国はもとより旧ソ連邦、ヨーロッパ、中東などの国々のバイヤーからも高い関心を集めた。その後、中国からは技術提携や取引を求める企業等が同社を訪問しており、長年の取引を通じて中国の建材や住宅事情に精通している徳留社長は、どのような形で杉などの国産材を輸出したらいいか、検討しているところである。
            
 徳留社長は、丸栄建設グループの約100名の社員に対し、常々「成功の源は夢である」と呼び掛けている。「夢を持つことのできない人間は、夢(住宅などの商品)を売ることはできない」という考え方である。今年また、徳留社長の新たな夢への挑戦がスタートした。農業生産法人を設立、15㌶の農地に焼酎原料のサツマイモを栽培し、今秋、初収穫を迎える。

(有)山田銘木店

会員者情報

企業名 有限会社山田銘木店
所在地 鹿児島市東開町8-9
電話 099-269-1239
名前 代表取締役 山田 賢一 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2004,10月号掲載)

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(有)山田銘木店は鹿児島市の木材商業団地にあり、昭和44年に山田社長の父親である勝賢氏が創業、49年に有限会社となった。勝賢氏は戦前の台湾で生まれたが、終戦により鹿児島に引き上げてきた。行商や雑貨店の経営などを経て、35歳の頃に銘木店を開業し、屋久杉製の欄間の製造・販売や、知り合いの職人が製作した木工製品の販売を行うようになった。
 
 事業が軌道に乗る中で、勝賢氏は台湾からの欄間の輸入を考えるようになる。我が国では、昭和30年代後半以降の住宅建設増加に伴ない欄間の需要が増大する一方、供給側として、労働力不足、特に手工業的な欄間業界では職人の確保が難しく、需要に追いつかないという事態となった。このような背景のもとに、台湾檜や台湾杉という良質の材に着目した大阪の一業者が現地の木材工芸業者を指導して作らせたのが、台湾欄間の始まりだという。勝賢氏は、貿易については全く素人であったが、当時の取引銀行の職員が懇切にノウハウを指導してくれたお陰で台湾からの製品輸入が始まり、取引が順調に拡大していった。
 
 昭和57~58年頃、当時高校生であった賢一氏は父親から台湾の大学への留学を勧められた。「勉強はしないで遊んでばかりだろうが、遊ぶためには言葉が必要だから、中国語を修得できるだろう。」ということで留学することになったという。賢一氏によれば、父親の予想通りよく遊んだお陰で中国語をマスターし、留学を終えて帰国するときには未来の社長夫人も一緒だったというから、父親の期待以上の成果を上げることができたようである。

 平成2年に帰鹿した賢一氏は、父親の下で仕事を始め、台湾やその後取引が始まった中国での商談には通訳として常に父に同行し、商品に対する知識や経営ノウハウを学んでいった。父が社長、息子が通訳という組み合わせは、取引相手から信頼を得る上で大いに役立った。そのような中、賢一氏は、平成9年に32歳の若さで突然社長に就任することになった。台湾に出張中の勝賢氏が交通事故に遭い61歳で急逝したためである。その時も同行する予定であった賢一氏は、出発直前になって父から、今回は鹿児島に残るよう命じられた。同行していれば、賢一氏自身も同じ運命をたどっていたかも知れず、なぜ、その時だけ残るように命じたのか、不思議な運命を感じるという。

 同社が取り扱う製品は、欄間、社寺彫刻、床柱、高級工芸品、銘木彫刻品などである。一口に欄間といっても彫刻欄間、書院欄間、組子欄間、透かし彫欄間、蓮欄間などの様々な種類がある。また、これらの製品の材料は、杉、檜、桐などで、国内はもとより台湾や中国などの材も利用されている。杉の中でも特に高級なものが屋久杉、神代杉である。屋久杉は、屋久島で産する杉のうち樹齢千年以上ものを指すが、昭和57年以降は原則として伐採が禁止されているため、現在では、土埋木や風倒木などを森林管理署の公開入札を通じて入手している。神代杉は、山形県と秋田県の境にそびえる鳥海山がかつて噴火した際に火山灰に埋没した杉を掘り出したもので、黒みがかった重厚な色合いを持ち歴史を感じさせるものである。                      
       

 これらの製品については、国内での製造が2割程度で高級品が中心であり、残りは中国、台湾、香港などの海外から輸入しているが、かつて中心であった台湾に代わり、現在は中国のウエイトが高くなっている。中国の福建省、江西省、浙江省、広東省などでは木材加工が盛んで、中国国内の材のほか日本や台湾の材を持ち込み委託加工したものを輸入しており、日本国内での販路は、県内2割、県外が8割となっている。

 山田社長によれば、中国との取引上をする上での留意点として、商取引に関する考え方や、文化、言語などのバックグラウンドが違うことを理解する必要がある。例えば、中国の取引先は、一般的に短期間で利益を上げようとするために品質管理が不十分で、かつては月に1回程度の割合で現地に出向き検品を行う必要があったが、その後、関係者を招聘して日本における製造や販売の現場を実際に見せることにより、品質の向上が図られた。また、山田社長は、人的なネットワークづくりを大事にしている。中国には人治の国といわれる側面が色濃く残っているため、地方政府を含め行政関係者との良好な関係を築くことのメリットは少なくない。また、量的には少ないもののタイやベトナムの工芸品も取り扱っているが、これらは、これまでの取引を通じて培った台湾や香港の信頼できる業者を通じて輸入している。
         
 森林資源保護のため、今後中国でも原材料の確保が困難になることが予想される中で、山田社長は東南アジアなど新たな取引先の開拓を検討するとともに、上海をはじめとする中国の裕福層をターゲットにした高級家具工芸品の輸出の可能性にも注目しているという。若くして会社を引き継いだ山田社長は、鹿児島青年会議所のメンバーとして、鹿児島のまちづくりへの提言やボランティア活動にも積極的に関わってきた。海外や地元に築いてきた幅広いネットワークや語学力を基に、山田銘木店が一層発展されるよう期待したい。

南海貿易㈱

会員者情報

企業名 南海貿易株式会社
所在地 鹿児島市山之口町1-7
電話 099-223-5000
名前 代表取締役 内田信光 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2004,8月号掲載)

代表取締役 内田信光 氏

南海貿易株式会社は、内田社長の父陳喜官氏により昭和30年に設立された。内田社長は父の後を継ぎ,平成8年に社長に就任した。

 同社の事業は商社事業と情報事業の二つに分けらる。商社事業は、中国産の飼料、肥料、産業資材、石材の輸入、卸、中国製家具、美術工芸品、中国産海産物、干果物、ウーロン茶等の荷受代行、輸入委託、アクセサリー・クラフト・雑貨類の輸入、卸小売販売などで、情報事業は、中国産商品の発掘、開発業務、中国における合弁会社の設立運営などとなっている。このほか関連会社として、室内インテリアや店舗改装、石材販売などを行う(有)福光産業と、テナント業を行う(有)福楽園(かつての中華料理店「福楽園」)があり,新しい事業展開を考えている。

 福建省の省都福州市の出身である陳喜官氏は、当時鹿児島にいた兄を頼って昭和7年に17歳で来鹿したが、戦争が激化する中で、昭和19年に帰国を余儀なくされた。戦後の昭和21年に再来鹿し、中華料理店「福楽園」を経営しながら、徐々に中国との貿易にも手を広げるようになり、南海貿易株式会社を設立した。陳氏は、昭和27年に九州の華僑会の初代会長に選出されたほか、福建省出身の在日華僑総会の第1回目を鹿児島で開催するなど、優れたリーダーシップと行動力の持ち主であった。

 戦後長い間国交がなかった日中間では、1950年代になって友好商社を通じた「友好貿易」が実施されていたが、中国国内の混乱や日本政府の政策などにより、両国の経済交流は一時断絶状態となった。1962年にようやく準政府間協定である「日中覚書貿易協定」が廖承志(華僑事務委員会主任)と高碕達之助(元通産相)の間で調印された。この協定は両国代表の名字の頭文字をとって「LT貿易協定」といわれ、両国はそれぞれ相手国に連絡事務所を設け、経済交流の強化が図られることになった。

 このような状況の中、南海貿易は、華僑商社として八幡製鉄(現新日鉄)の鉄鋼製品の輸出などに参加することができた。また、1957年(昭和32年)から毎年春と秋に開催され、今春で94回を数える広州交易会には、毎回参加してきた。これらは、同社の発展のための基礎となったが、国交回復前の日中貿易には様々な制約があったため、実質的に中国との唯一の窓口としての機能を担っていた香港に、昭和40年に事務所を設置した。同事務所は、その後の同社の貿易発展に大きな役割を果たすことになった。また、この年から毎年、全国の大手デパートなどで「大中国商品展」を開催し、中国製品や文化などの日本への紹介にも力を注いできた。

 1990年代に入り、改革開放政策による上海など沿岸各都市の急速な経済発展や香港返還など、中国をめぐる情勢が大きく変化する中で、内田社長は海外事務所の再編強化を進めてきた。まず、中国貿易の窓口機能を担ってきた香港事務所を平成6年に閉鎖、これに代わって福州市(平成9年)、広州市(平成11年)、大連市(平成12年)に事務所を開設していった。現在、南海貿易が取り扱う品目は、年間を通して500~600にも上るが、大連事務所は、中国北部の拠点として飼料、肥料、鉄鋼製品など、福州事務所は、中部の拠点として農作物、食品、建築資材、肥料袋や資料袋などの包装資材など、広州事務所は、南部の拠点として家具、工業製品、IT製品、衣料、雑貨などと、それぞれの地域の特性やバランスを考慮した事務所配置となっている。

 言葉、価値観、文化の異なる中国で事業を展開するに当たっては、何にも増して信頼できるパートナーを確保することが大事であるという。かつて同社では、石材で有名な江西省の南昌に合弁会社を設立して、みかげ石や敷石などの石材等を半製品化し、日本に輸入していたが、パートナーによる資機材の無断流用などにより生産性が上がらず、やむなく撤退せざるを得なかった。この反省から、現在の3事務所のスタッフは、全員中国人であるが、福建省出身で日本への留学や勤務経験がある内田社長夫人の親戚や留学時代の友人など信頼できる人材を採用している。

 内田社長は、中国貿易を通じて培った経験や人脈、さらには3事務所の機能を生かし、中国との取引や投資を行おうとする鹿児島の企業に対し、貿易業務は勿論のこと、市場調査や信用調査、地方政府との諸手続きなど様々な面でお手伝いをしたいと考えている。一例として、大連事務所では、日中合弁で設立されたネジ製造会社の製品や原材料の輸出入手続きの全てを代行しているが、このような方法は、貿易実務の経験者を確保することが困難な中小企業にとって、特に効果的であるという。

 9年前に亡くなられた父親の陳氏は、地元福建省では、日本で事業に成功した華僑の一人として、さらには、在日華僑代表7名のひとりとして周恩来首相の日中国交回復諮問委員に選出されるなど日中国交回復への貢献者として広く知られている。また、鹿児島市と長沙市の友好都市の締結に向けても貢献した。陳氏は、福建省に救急車を寄贈するなど故郷への想いも人一倍強かった。内田社長は福建省を訪問するたびに、寄贈された救急車のお陰で何人もの人の命が救われたという話を聞かされ、熱い思いが込み上げてくるという。

 南海貿易は来年創立50周年を迎える。内田社長は、今後の新たな事業展開として、中国でのビジネスホテル事業への参入を考えている。既に鹿児島市や瀋陽市で大手ビジネスホテルチェーンとタイアップした事業を経験済みで、一定のノウハウの蓄積ができたことから、中国沿岸各都市の発展をにらみながら、ホテル事業経営への参加、中国で調達した家具やアメニティー製品のホテルへの供給などを進めようとしている。日中間の貿易に加え、急速な変化を続けている中国国内で完結する形のビジネスにも取り組み始めている。

 (貿易ニュース鹿児島2004.8月号掲載)

小城製粉㈱

会員者情報

企業名 小城製粉株式会社
所在地 川内市隈之城町1892
電話 0996-22-4161
名前 代表取締役社長 小城年久 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2004,8月号掲載)

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小城製粉株式会社は小城社長の父、勇一氏(現会長)により昭和41年に設立され、川内市に本社、鹿児島市に営業所を置く。和菓子の原料となる米穀粉業界で九州の一のシェアーを誇る同社は、この業界の中でユニークな存在といわれることが多い。普通は「素材メーカー」から「製品製造メーカー」へと付加価値の高い方へと発展することが多いこの業界にあって、同社は全くその逆をたどってきたからである。

 勇一氏は、義父が営んでいた「のせ菓子」で和菓子の修行の後、独立を図るべく昭和22年にめん工場を新設した。食糧事情が悪かった当時は「めん」を作りさえすれば売れていく時代で、経営はすぐに軌道に乗ったが、昭和28年に火災に会い、工場が全焼する。工場再建について義父に助言を求めたところ、「のせ菓子」で使う米殻粉を製造するよう進められた勇一氏は、和菓子の粉作りの修行を一から始め、小城製粉のスタートとなった。その後、製粉業は順調な成長を遂げ、「のせ菓子」は現在「のせ菓楽」と名前を変えて小城製粉の菓子製造部門として吸収されている。

 東京の大学の工学部で工業化学を専攻した年久氏は、家業を継ぐ前に食品について専門的に勉強したいと考え、卒業論文のために大学4年の時、農林水産省食品総合研究所に研修生として入所した。同研究所では、鹿児島特産「かるかん」の原料である山芋のフリーズドライの研究に取り組むなど多くのことを学ぶことができた。また、もともと人好き、世話好きであった年久氏は、「のせ菓子」で作った「かるかん」をぶら下げては、食品関係の研究者などを訪問し、「かるかん小僧」というあだ名をいただくほど可愛がってもらった。この当時、知己を得た多くの方々は、今日においても様々な面で年久氏の貴重な財産になっているという。

 3年間の研修を終えた年久氏は、昭和48年に小城製粉に入社、専務を経て平成2年に父勇一氏の跡を継ぎ社長に就任。その後、同社は急成長し、昭和60年頃約3億円であった売上高は、現在では15億円を超えるまでになった。その内訳は、製粉が9割、菓子と米の精米小売りが1割で、製粉のウェイトが圧倒的に大きくなっている。一口に製粉といっても様々な製品がある。小城製粉では、和菓子の素材である上用粉、上餅粉、寒梅粉、きな粉、かるかん粉など500アイテムを製造販売しており、原料のうるち米や餅米の一部は政府の売却としてオーストラリア、アメリカ、中国産米を使用している。

 これほどの成長を遂げることができた原因について、小城社長は、「価格的にみるとうちの商品は他社のものよりも高いかもしれない。それでも取り引きしてもらうためには、品質の良さに対する信頼と営業マンによるきめ細やかな情報提供が欠かせない。」という。
 品質面では、米穀粉の場合、温度が45度以上になると糊化し劣化するため、他社に先駆けて27年前から低温倉庫で保管している。また、ISOの認証を受け、生産から出荷までの全工程について管理の徹底を図っている。見せていただいた工場は、建屋そのものは決して新しくはないものの、近代的な機械が据え付けられ、製粉工場でありながら床には粉ひとつ落ちていなくて、素人目にも徹底した品質管理のほどがうかがえた。
 
 次に、営業マンによるきめ細やかな情報提供である。同社では、菓子製造部門「のせ菓楽」のスタッフが中心となって、毎月6種類の新商品を開発し、自店での売れ筋を分析したり、モニターに試食してもらった結果をまとめ、営業マンは、そのレシピを持って頻繁に納品先の菓子メーカーを訪問して、売れ筋商品の情報提供を行っている。「のせ菓楽」は、同社のアンテナショップとしての機能も担っていることになる。同社は、営業エリアを九州・沖縄に限定しているが、エリアを拡大するとこのようなきめ細かな顧客対応が困難になるからだという。

 ユニークな商品に自然結晶塩がある。お菓子の原料に使う良い塩を探していたところ、中国の福建省恵安産で、最初は辛いが、1ヶ月、2ヶ月と時間がたつと甘みが出てくる塩に出会った。この不思議な塩は、普通は塩を好まないアリがこれを持っていくことから、「アリが運ぶ塩」と名付けて6,7年前から販売している。また、新幹線開業を記念「新ふるさと産品コンクール」に同社が出品した「川内がらっぱパイ」と「しおあめ」のパッケージは、デザイナーを目指して東京で修行中の次男の手によるものであるが、入賞した「川内がらっぱパイ」は、川内ゆかりのカッパのキャラクターがお菓子の材料であるちりめんを捕りに行くという、ストーリー性のあるものとなっている。

 小城製粉では、数年前から、「トイレ掃除に学ぶ会」を実施している。イエローハットの鍵山相談役の提唱により全国に広がったこの運動に共感した小城社長が社員に呼びかけて始めたもので、年に6回ほど社員総出で川内市内の学校を訪問、トイレをきれいにすることはもとより、トイレを磨くことにより心も磨いている。このことが社員の人間的成長、顧客への奉仕の精神の醸成、生産環境の改善、ひいては会社の発展につながると確信しているという。

 最後に、同社のパンフレットの1節を紹介する。「『三代の粉』祖父から父へ、父から子へ、こだわりの80余年。日本の南から、ちょっと一味変わった、素材本意の頑固な粉屋さん。精進を続けてようやく80年。これからも素材にこだわり、おいしさにこだわり、日本の伝統食文化を応援していきます。」 

中原水産(株)

会員者情報

企業名 中原水産株式会社
所在地 枕崎市東本町74-1
電話 0993-72-2211
名前 常務取締役 中原 晋司 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2009,1月号掲載)

常務取締役 中原 晋司 氏

中原水産(株)は1948年6月に先代の中原與一氏が中原與一商店を創業したところから始まる。1953年から鰹節の製造を開始し、1976年1月に中原水産(株)を設立。1995年から珍味・塩干事業を開始している。
海外との関わりとしては、魚のエサの原料の輸入や、水産物の輸出・輸入を商社を通して10年ほど前から行っている。主な取引先はアメリカである。
現在は枕崎市で水産物加工と卸売りを行っている中原水産(株)であるが、創業当時は、鮮魚の他、アイスクリームやさつまあげなども扱うなんでも屋だったそうだ。代表取締役の中原耕司氏は現在2代目で、社長が29歳の時に先代が病気で亡くなった後を継いだため、当時はその若さ故に大変な苦労をなさったが、世界中で操業するマグロ漁船のエサ事業を確立させた。
中原常務の兄である専務は築地で修行してきたいわば魚のプロで、現在現場責任者として主に、枕崎港に揚がる魚の仕入れ、販売を担当している。
今回お話を伺った常務の中原晋司氏は、今年、中原水産(株)に入社。以前はコンサルティング会社や、「育成した事業を販売する」というユニークな会社に勤務した経験を持つ。そこで無添加惣菜を宅配する事業の育成などに携わり、世の中の流れを読みながら顧客のニーズを把握し、ニーズに見合うサービスを提供する仕事のおもしろさを覚えたという。
中原水産(株)では枕崎で水揚げされた魚を仕入れ、鮮魚・冷凍・加工した形で全国の魚市場・卸・スーパーなどの小売りに販売をしている。鰹節類の加工では、主に業務用のサバ節の生産を行っており、そばやうどんなどの和風汁物のだし用として全国の問屋に卸している。最近はサバ節の扱いが減少傾向にあり、地場で捕れるアジやイワシなどのすり身や珍味などの加工の割合が増加している。
中原常務が今、特に力を入れているのが、珍味の加工である。
アジを原料とした「鯵の焼きひもの」は、くさやの製法を活かして骨や皮を取り除いた一口サイズの干物で、袋を開けてすぐに食べられる手軽さと、品質の確かさで勝負していきたいということで、これからは消費者のニーズをうまく捉えて新しい商品を開発していく事が大事だと考えていらっしゃるようだ。
「鯵の焼きひもの」にはマヨネーズの小袋も同封されており、幅広い層の消費者に好まれそうだ。おやつとして、また地場の特産品である焼酎にも良く合う味付けとなっている。骨付きの鯵を油で揚げた「鯵のカリッコ」や、鰹の切り身をしょうゆにつけた「フレッシュ鰹身くん」といった商品などは、既に鹿児島空港や県内のスーパー、コンビニ、首都圏の百貨店などで販売されている。
水産業界は環境に大きく左右される変化の激しい業界であり、常に挑戦していく姿勢が重要となる。中原水産(株)は一貫して生産者と消費者をつないで本物を提供していくという姿勢にこだわってきた。
消費者に自信を持って薦められる物、付加価値のあるものを提供していく事で、食の楽しさ、安心さを提供できる喜び。「魚をもっと食べてもらいたい。」という強い気持ちがあり、それを伝えていくのが自分の仕事だと熱心に中原常務は語られた。
余談であるが、珍味を製造している工場に案内していただいた際に、工場の建物は鯵のひらきの形になっているとの説明があった。残念ながら地上から確認することはできなかったが、指宿から枕崎方面に車を走らせる機会があればぜひ建物にも注目していただきたい。
<取材:諏訪・永田> (2009 年1月号掲載)

㈱JTB九州 鹿児島支店

会員者情報

企業名 株式会社JTB九州 鹿児島支店
所在地 鹿児島市西千石町11-25 フコク生命ビル5階
電話 099-226-1515
名前 営業担当課長 吉田 茂 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2006,6月号掲載)

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旅行の多様化、個人旅行の増大、インターネットの普及などにより旅行業を取り巻く環境も大きく変化してきている。日本の旅行業をリードしてきたJTBは、旅行業を核としながらも、「文化交流産業」への領域拡大を進めている。

文化交流事業は2つの柱からなっている。地域の新たな魅力を掘り起こし、地域とともに育て、発信する「地域活性化事業」と、企業経営の課題をあらゆる面から解決し、共栄のパートナーシップを築く「ソリューション事業」である。

地域活性化事業では、「新たな九州の魅力・物語の発見」をテーマに、地域に眠っている素材、資源を掘り起こし、地域と一体となって育て、商品化する事業である。
 既に唐津や国東半島では行政や地域の人々と一体となった取り組みがスタートしている。また、「九州はひとつ」のスローガンのもと、九州各県一丸となった観光振興策への取り組みが課題となっているが、実現に向けては長年のノウハウに基づく旅行業者の提言・意見は欠かせない。「九州観光推進機構」の一員であるJTBへの期待も大きくなっている。

近年人々の健康への関心が高くなってきていることから、JTB九州では、九州の豊かな自然、温泉、農水産物を活かした「健康にいい旅・ヘルスツーリズム事業」を提案している。スローフード、スローライフの見直しや体にいい食事を提供する医食同源ツアー、温泉浴、森林浴などである。

 一方、「ソリューション事業」では、今までに旅行業で培ったノウハウと独自開発したITシステムを最大限に駆使した総合経営コンサルティングにより、企業が抱える事務処理から販促活動、人材育成などのさまざまな課題を、解決して新たな価値を創出し、企業等に貢献したいとしている。

 たとえば、企業の出張経費削減と業務の大幅な効率化を実現する「総合出張管理システム(J’sナビ)」や企業の福利厚生業務を機能的に代行し、経費・事務作業を軽減する「福利厚生代行サービス(ベネフィット)」、JTBの媒体・店舗を活用した広報・プロモーション事業(JTBスタンバイクラブ)」、そしてブロードバンド分野では、旅行会社初となる高速大容量(ブロードバンド)の動画配信サービス「お届け君」など。

「お届け君」を利用すると、顧客の個人情報を取得しなくても各種のコンテンツをインターネットで配信でき、企業の大きな経営リスクである個人情報漏洩への対策として有効であるうえ、従来の企業メールマガジンが開封率数パーセントなのに対し、随時更新通知をするため、開封率が7割近くになるという試算結果がでており、配信コストもダイレクトメールよりも大幅にダウンすることができる。JTB九州ではこのブロードバンド配信システムによる効果的な広告・プロモーションを提案している。
 
本業の旅行事業は、国内パッケージ旅行の「エース」、海外旅行商品の「ルック」を進化させるとともに、多様化する個人旅行にもきめ細かい対応を図っている。

 北米、欧州、アジアなど世界73カ所に支店・営業所・連絡事務所を設置し、日本の旅行会社としては最大のネットワークを築いているJTBは、企業・各種団体の職場旅行やインセンティブ旅行、官公庁の国際交流事業、観光ミッション、訪問団派遣でも実績があるが、今後も企業や団体の海外でのビジネス・情報活動等に貢献したいという。

 これまで日本の海外旅行は、日本から海外にでいく出国者数は多いが、日本への入国者数は少ないという課題を抱えていることから海外からの観光客を増やそうと、国が中心になって「ビジット・ジャパン・キャンペーン」が展開されているが、JTBもこれに呼応して、中国、韓国などの東アジアからの集客に取り組んでいる。特に、中国には現在北京、上海、広州に、そして台湾にも支社があり、今後も増やしていく方向だ。

 JTBでは文化交流事業やクリーンアップキャンペーンのような社会貢献も多角的に行っている。旅の素晴らしさを語る「旅行文化講演会」の開催や、観光地クリーンアップキャンペーン、緑化・稚魚放流などのエコ活動への取り組み、世界の子どもたちのためにユニセフ活動への参画などである。今後は国際交流に力を入れていきたいという。

 JTB鹿児島支店としては、鹿児島の観光の魅力をどんどん外に配信して受け入れを広げていきたいとしている。また法人や団体の海外での活動を、旅行面からバックアップして地域に貢献したいとしている。

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