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インタビュー

小城製粉㈱

会員者情報

企業名 小城製粉株式会社
所在地 川内市隈之城町1892
電話 0996-22-4161
名前 代表取締役社長 小城年久 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2004,8月号掲載)

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小城製粉株式会社は小城社長の父、勇一氏(現会長)により昭和41年に設立され、川内市に本社、鹿児島市に営業所を置く。和菓子の原料となる米穀粉業界で九州の一のシェアーを誇る同社は、この業界の中でユニークな存在といわれることが多い。普通は「素材メーカー」から「製品製造メーカー」へと付加価値の高い方へと発展することが多いこの業界にあって、同社は全くその逆をたどってきたからである。

 勇一氏は、義父が営んでいた「のせ菓子」で和菓子の修行の後、独立を図るべく昭和22年にめん工場を新設した。食糧事情が悪かった当時は「めん」を作りさえすれば売れていく時代で、経営はすぐに軌道に乗ったが、昭和28年に火災に会い、工場が全焼する。工場再建について義父に助言を求めたところ、「のせ菓子」で使う米殻粉を製造するよう進められた勇一氏は、和菓子の粉作りの修行を一から始め、小城製粉のスタートとなった。その後、製粉業は順調な成長を遂げ、「のせ菓子」は現在「のせ菓楽」と名前を変えて小城製粉の菓子製造部門として吸収されている。

 東京の大学の工学部で工業化学を専攻した年久氏は、家業を継ぐ前に食品について専門的に勉強したいと考え、卒業論文のために大学4年の時、農林水産省食品総合研究所に研修生として入所した。同研究所では、鹿児島特産「かるかん」の原料である山芋のフリーズドライの研究に取り組むなど多くのことを学ぶことができた。また、もともと人好き、世話好きであった年久氏は、「のせ菓子」で作った「かるかん」をぶら下げては、食品関係の研究者などを訪問し、「かるかん小僧」というあだ名をいただくほど可愛がってもらった。この当時、知己を得た多くの方々は、今日においても様々な面で年久氏の貴重な財産になっているという。

 3年間の研修を終えた年久氏は、昭和48年に小城製粉に入社、専務を経て平成2年に父勇一氏の跡を継ぎ社長に就任。その後、同社は急成長し、昭和60年頃約3億円であった売上高は、現在では15億円を超えるまでになった。その内訳は、製粉が9割、菓子と米の精米小売りが1割で、製粉のウェイトが圧倒的に大きくなっている。一口に製粉といっても様々な製品がある。小城製粉では、和菓子の素材である上用粉、上餅粉、寒梅粉、きな粉、かるかん粉など500アイテムを製造販売しており、原料のうるち米や餅米の一部は政府の売却としてオーストラリア、アメリカ、中国産米を使用している。

 これほどの成長を遂げることができた原因について、小城社長は、「価格的にみるとうちの商品は他社のものよりも高いかもしれない。それでも取り引きしてもらうためには、品質の良さに対する信頼と営業マンによるきめ細やかな情報提供が欠かせない。」という。
 品質面では、米穀粉の場合、温度が45度以上になると糊化し劣化するため、他社に先駆けて27年前から低温倉庫で保管している。また、ISOの認証を受け、生産から出荷までの全工程について管理の徹底を図っている。見せていただいた工場は、建屋そのものは決して新しくはないものの、近代的な機械が据え付けられ、製粉工場でありながら床には粉ひとつ落ちていなくて、素人目にも徹底した品質管理のほどがうかがえた。
 
 次に、営業マンによるきめ細やかな情報提供である。同社では、菓子製造部門「のせ菓楽」のスタッフが中心となって、毎月6種類の新商品を開発し、自店での売れ筋を分析したり、モニターに試食してもらった結果をまとめ、営業マンは、そのレシピを持って頻繁に納品先の菓子メーカーを訪問して、売れ筋商品の情報提供を行っている。「のせ菓楽」は、同社のアンテナショップとしての機能も担っていることになる。同社は、営業エリアを九州・沖縄に限定しているが、エリアを拡大するとこのようなきめ細かな顧客対応が困難になるからだという。

 ユニークな商品に自然結晶塩がある。お菓子の原料に使う良い塩を探していたところ、中国の福建省恵安産で、最初は辛いが、1ヶ月、2ヶ月と時間がたつと甘みが出てくる塩に出会った。この不思議な塩は、普通は塩を好まないアリがこれを持っていくことから、「アリが運ぶ塩」と名付けて6,7年前から販売している。また、新幹線開業を記念「新ふるさと産品コンクール」に同社が出品した「川内がらっぱパイ」と「しおあめ」のパッケージは、デザイナーを目指して東京で修行中の次男の手によるものであるが、入賞した「川内がらっぱパイ」は、川内ゆかりのカッパのキャラクターがお菓子の材料であるちりめんを捕りに行くという、ストーリー性のあるものとなっている。

 小城製粉では、数年前から、「トイレ掃除に学ぶ会」を実施している。イエローハットの鍵山相談役の提唱により全国に広がったこの運動に共感した小城社長が社員に呼びかけて始めたもので、年に6回ほど社員総出で川内市内の学校を訪問、トイレをきれいにすることはもとより、トイレを磨くことにより心も磨いている。このことが社員の人間的成長、顧客への奉仕の精神の醸成、生産環境の改善、ひいては会社の発展につながると確信しているという。

 最後に、同社のパンフレットの1節を紹介する。「『三代の粉』祖父から父へ、父から子へ、こだわりの80余年。日本の南から、ちょっと一味変わった、素材本意の頑固な粉屋さん。精進を続けてようやく80年。これからも素材にこだわり、おいしさにこだわり、日本の伝統食文化を応援していきます。」 

中原水産㈱

会員者情報

企業名 中原水産株式会社
所在地 枕崎市東本町74-1
電話 0993-72-2211
名前 常務取締役 中原 晋司 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2009,1月号掲載)

常務取締役 中原 晋司 氏

中原水産(株)は1948年6月に先代の中原與一氏が中原與一商店を創業したところから始まる。1953年から鰹節の製造を開始し、1976年1月に中原水産(株)を設立。1995年から珍味・塩干事業を開始している。
海外との関わりとしては、魚のエサの原料の輸入や、水産物の輸出・輸入を商社を通して10年ほど前から行っている。主な取引先はアメリカである。
現在は枕崎市で水産物加工と卸売りを行っている中原水産(株)であるが、創業当時は、鮮魚の他、アイスクリームやさつまあげなども扱うなんでも屋だったそうだ。代表取締役の中原耕司氏は現在2代目で、社長が29歳の時に先代が病気で亡くなった後を継いだため、当時はその若さ故に大変な苦労をなさったが、世界中で操業するマグロ漁船のエサ事業を確立させた。
中原常務の兄である専務は築地で修行してきたいわば魚のプロで、現在現場責任者として主に、枕崎港に揚がる魚の仕入れ、販売を担当している。
今回お話を伺った常務の中原晋司氏は、今年、中原水産(株)に入社。以前はコンサルティング会社や、「育成した事業を販売する」というユニークな会社に勤務した経験を持つ。そこで無添加惣菜を宅配する事業の育成などに携わり、世の中の流れを読みながら顧客のニーズを把握し、ニーズに見合うサービスを提供する仕事のおもしろさを覚えたという。
中原水産(株)では枕崎で水揚げされた魚を仕入れ、鮮魚・冷凍・加工した形で全国の魚市場・卸・スーパーなどの小売りに販売をしている。鰹節類の加工では、主に業務用のサバ節の生産を行っており、そばやうどんなどの和風汁物のだし用として全国の問屋に卸している。最近はサバ節の扱いが減少傾向にあり、地場で捕れるアジやイワシなどのすり身や珍味などの加工の割合が増加している。
中原常務が今、特に力を入れているのが、珍味の加工である。
アジを原料とした「鯵の焼きひもの」は、くさやの製法を活かして骨や皮を取り除いた一口サイズの干物で、袋を開けてすぐに食べられる手軽さと、品質の確かさで勝負していきたいということで、これからは消費者のニーズをうまく捉えて新しい商品を開発していく事が大事だと考えていらっしゃるようだ。
「鯵の焼きひもの」にはマヨネーズの小袋も同封されており、幅広い層の消費者に好まれそうだ。おやつとして、また地場の特産品である焼酎にも良く合う味付けとなっている。骨付きの鯵を油で揚げた「鯵のカリッコ」や、鰹の切り身をしょうゆにつけた「フレッシュ鰹身くん」といった商品などは、既に鹿児島空港や県内のスーパー、コンビニ、首都圏の百貨店などで販売されている。
水産業界は環境に大きく左右される変化の激しい業界であり、常に挑戦していく姿勢が重要となる。中原水産(株)は一貫して生産者と消費者をつないで本物を提供していくという姿勢にこだわってきた。
消費者に自信を持って薦められる物、付加価値のあるものを提供していく事で、食の楽しさ、安心さを提供できる喜び。「魚をもっと食べてもらいたい。」という強い気持ちがあり、それを伝えていくのが自分の仕事だと熱心に中原常務は語られた。
余談であるが、珍味を製造している工場に案内していただいた際に、工場の建物は鯵のひらきの形になっているとの説明があった。残念ながら地上から確認することはできなかったが、指宿から枕崎方面に車を走らせる機会があればぜひ建物にも注目していただきたい。
<取材:諏訪・永田> (2009 年1月号掲載)

㈱JTB九州 鹿児島支店

会員者情報

企業名 株式会社JTB九州 鹿児島支店
所在地 鹿児島市西千石町11-25 フコク生命ビル5階
電話 099-226-1515
名前 営業担当課長 吉田 茂 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2006,6月号掲載)

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旅行の多様化、個人旅行の増大、インターネットの普及などにより旅行業を取り巻く環境も大きく変化してきている。日本の旅行業をリードしてきたJTBは、旅行業を核としながらも、「文化交流産業」への領域拡大を進めている。

文化交流事業は2つの柱からなっている。地域の新たな魅力を掘り起こし、地域とともに育て、発信する「地域活性化事業」と、企業経営の課題をあらゆる面から解決し、共栄のパートナーシップを築く「ソリューション事業」である。

地域活性化事業では、「新たな九州の魅力・物語の発見」をテーマに、地域に眠っている素材、資源を掘り起こし、地域と一体となって育て、商品化する事業である。
 既に唐津や国東半島では行政や地域の人々と一体となった取り組みがスタートしている。また、「九州はひとつ」のスローガンのもと、九州各県一丸となった観光振興策への取り組みが課題となっているが、実現に向けては長年のノウハウに基づく旅行業者の提言・意見は欠かせない。「九州観光推進機構」の一員であるJTBへの期待も大きくなっている。

近年人々の健康への関心が高くなってきていることから、JTB九州では、九州の豊かな自然、温泉、農水産物を活かした「健康にいい旅・ヘルスツーリズム事業」を提案している。スローフード、スローライフの見直しや体にいい食事を提供する医食同源ツアー、温泉浴、森林浴などである。

 一方、「ソリューション事業」では、今までに旅行業で培ったノウハウと独自開発したITシステムを最大限に駆使した総合経営コンサルティングにより、企業が抱える事務処理から販促活動、人材育成などのさまざまな課題を、解決して新たな価値を創出し、企業等に貢献したいとしている。

 たとえば、企業の出張経費削減と業務の大幅な効率化を実現する「総合出張管理システム(J’sナビ)」や企業の福利厚生業務を機能的に代行し、経費・事務作業を軽減する「福利厚生代行サービス(ベネフィット)」、JTBの媒体・店舗を活用した広報・プロモーション事業(JTBスタンバイクラブ)」、そしてブロードバンド分野では、旅行会社初となる高速大容量(ブロードバンド)の動画配信サービス「お届け君」など。

「お届け君」を利用すると、顧客の個人情報を取得しなくても各種のコンテンツをインターネットで配信でき、企業の大きな経営リスクである個人情報漏洩への対策として有効であるうえ、従来の企業メールマガジンが開封率数パーセントなのに対し、随時更新通知をするため、開封率が7割近くになるという試算結果がでており、配信コストもダイレクトメールよりも大幅にダウンすることができる。JTB九州ではこのブロードバンド配信システムによる効果的な広告・プロモーションを提案している。
 
本業の旅行事業は、国内パッケージ旅行の「エース」、海外旅行商品の「ルック」を進化させるとともに、多様化する個人旅行にもきめ細かい対応を図っている。

 北米、欧州、アジアなど世界73カ所に支店・営業所・連絡事務所を設置し、日本の旅行会社としては最大のネットワークを築いているJTBは、企業・各種団体の職場旅行やインセンティブ旅行、官公庁の国際交流事業、観光ミッション、訪問団派遣でも実績があるが、今後も企業や団体の海外でのビジネス・情報活動等に貢献したいという。

 これまで日本の海外旅行は、日本から海外にでいく出国者数は多いが、日本への入国者数は少ないという課題を抱えていることから海外からの観光客を増やそうと、国が中心になって「ビジット・ジャパン・キャンペーン」が展開されているが、JTBもこれに呼応して、中国、韓国などの東アジアからの集客に取り組んでいる。特に、中国には現在北京、上海、広州に、そして台湾にも支社があり、今後も増やしていく方向だ。

 JTBでは文化交流事業やクリーンアップキャンペーンのような社会貢献も多角的に行っている。旅の素晴らしさを語る「旅行文化講演会」の開催や、観光地クリーンアップキャンペーン、緑化・稚魚放流などのエコ活動への取り組み、世界の子どもたちのためにユニセフ活動への参画などである。今後は国際交流に力を入れていきたいという。

 JTB鹿児島支店としては、鹿児島の観光の魅力をどんどん外に配信して受け入れを広げていきたいとしている。また法人や団体の海外での活動を、旅行面からバックアップして地域に貢献したいとしている。

ロイヤルブランド貿易㈱

会員者情報

企業名 ロイヤルブランド貿易
所在地 鹿児島市明和2丁目35-13
電話 099-282-7878
名前 代表取締役 有馬 戦男 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2003,11月号掲載)

代表取締役 有馬 戦男 氏

10月20日からのタイ・ベトナム経済ミッションにご参加いただくロイヤルブランド貿易を訪問し、代表取締役の有馬戦男(いくお)社長にお話をお伺いした。
 取材班は「ロイヤルブランド貿易」という会社にお伺いしたつもりでいたが、実際は「ナショナルホーム開発株式会社」の中にロイヤルブランド貿易事業部があるとのことでした。
 もちろん有馬社長は「ナショナルホーム開発株式会社」の代表取締役社長を務めておられるということで、関連会社としては「太陽熱温水器株式会社」「日本ソーラー設備株式会社」がありました。
 『本社はすべて鹿児島においているが、事業本部は福岡に置いてある。将来的には、全国展開をしたいと思っている。九州では、福岡、熊本、長崎、宮崎に営業所をかまえ、太陽熱温水器、住宅用・業務用太陽光発電システム(ソーラー)、灯油ボイラー等の販売施行を行っている。
 各地の官公庁職員共済会・厚生会や学校生協の指定店にも指名され、これまで大きな信用を培ってきた。これまでに築き上げた顧客リストは2万件にも上る。この顧客を相手に新たな事業が何か出来ないかと考え,貿易部門を立ち上げることとした。新たに資金を投入せずに,現在の延長線上に貿易部門を構築し、事業を展開していくという考え方だ。
 ロイヤルブランド貿易で取り扱う商品は、インターネットでの販売をも考えており,現在ホームページは工事中である。世間では、インターネット販売に乗り出したもののうまくいかず、撤退したという話をごまんと聞いている。そのためインターネット関係の研修もいろいろ受けて、研究してきたが、要はインターネットでは、検索した場合の順位が上位に来ないと見て貰えないので、商品や会社の知名度が大変重要であるということと,インターネット販売で失敗した会社は,ホームページを総務部門などの職員だけで作らせたため、営業のイロハが活かせず、消費者のニーズも掴めず、宣伝も中途半端になり、結果的にアクセスはあるものの、営業には結びつかなかったのではないかということに気が付いた。
 そこで、まずは当社を信頼いただいている2万件の優良顧客の方々に対して、案内を差し上げインターネット取引を目指したいと考えている。もちろん、ホームページは現在営業を行っている職員に作らせている。
 商品は、世界中からその国の文化芸術の薫りのする本物を集め、提供していきたいと考えている。特に古い歴史と文化に支えられたヨーロッパの家具や、調度品、装飾品、美術品等々は、お客様の満足度も高いのではないかと思っている。
 鹿児島県貿易協会のミッションに昨年も参加し、今年もタイ・ベトナムに行くわけであるが、当面アジアで、顧客の方々に満足いただける良いものはないか探してみたいと思う。
 アジアの商品の中では,マレーシアやタイのピューターに注目している。素材も良く、彫金等もしっかりしており、芸術的な側面も持ち合わせている。
 商品を扱うということは、そこの文化を扱うことだと思う。そういう点では、世界の楽器を取り扱うということも、なかなか面白いのではないかと思っている。
 貿易は、目を肥やさなければ必ず失敗する。自己責任で、商品の買付は行わなければならないのである。「だまされた」と言っているばかりでは、先に進まない。
 相手国の政治・経済の状況、商習慣、人間性、文化などの多くの予備知識を入れてから、商売をすることが大事だ。

 今の世の中、いい物が安くても売れない。みんな大抵の物は既に持っているし,物に対する価値観、ニーズが変わってきている。これからのキーワードは 「美しく」 「幸せで」 「楽しく」 「健康で」 「長生きする」 であり,これらに関連する商品に人々がお金を使う時代になってきた。このことを追求していくと、最終的にはすべてヨーロッパの製品や生き方に行き着くのではないかと思う。これからも、物を通じて人を感動させるような仕事をしていきたい。』
(貿易ニュース鹿児島2003.11月号掲載)

㈱上組鹿児島支店

会員者情報

企業名 株式会社 上組(鹿児島支店、志布志支店)
所在地 鹿児島支店 鹿児島市南栄3丁目19-3
志布志支店 鹿児島県志布志市志布志町志布志3306
電話 鹿児島支店 099-269-4523
志布志支店 099-473-2486
名前 上組鹿児島支店 課長 遠矢 信行 氏 他

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2006,8月号掲載)

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国際物流ネットワークを展開している上組の創業は古く、1867年(慶応3年)に神戸港開港とともに、運上所出入りの外国貨物の運搬を取扱う団体「神戸浜仲」として誕生している。
 上組と改称されたのは1873年(明治6年)である。

 現在は 国内、海外に拠点網をもち、港湾運送事業を始め、倉庫業、通関業、貨物自動車運送事業など、さまざまな営業分野があり、国内外貨物を荷役、保管、輸送する体制を整え、国際複合一貫輸送を推進している。

 本県では、鹿児島港と志布志港に支店を置き、畜産王国・鹿児島県に欠かせない飼料原料を中心とした輸出入業務を行っている。鹿児島支店は、1973年(昭和48年)福岡支店・鹿児島出張所として設置、志布志支店は1987年(昭和62年)福岡支店・志布志出張所として設置された。

 ここで、全国有数の農業県・畜産県である本県の飼料事情に触れてみたい。
本県の肉用牛、豚、採卵鶏、ブロイラーの飼養頭数、出荷頭数は全国1,2位を占めている。このため鹿児島市、志布志市、出水市など県内各地に配合飼料工場が建設され、良質な配合飼料が、県内はもとより九州各県まで供給されている。これら配合飼料の原料はほとんどは海外から鹿児島港、志布志港に輸入されている。

 輸入される飼料原料は、トウモロコシ、マイロ、大豆粕、大麦・小麦、魚粉等、かなりの種類があり、又、直接給餌する乾牧草等も多量に輸入されている。輸入先はトウモロコシの主産地であるアメリカ合衆国を筆頭にカナダ、オーストラリア、ブラジル、アルゼンチン、中国などである。

 このような畜産の盛んな本県において、上組では、鹿児島港、志布志港にそれぞれサイロ、飼料保管施設(普通倉庫、くん蒸倉庫)等を整備し、港湾運送業務・倉庫業・通関業・貨物自動車運送事業等の業務を行っている。

 鹿児島支店、志布志支店ともに輸入業務のほとんどが飼料であるが、コンテナターミナル施設のある志布志支店では、世界各国より韓国、台湾及び中国を経由して雑貨・日用品類等が輸入されている。また、都城の住友化学ゴムのタイヤ製品を北米に輸出している。

 志布志支店は中国の民生輪船の代理店としてコンテナ船の本船荷役及びコンテナーターミナル業務を行い、大連からの稲わら等を大量に取り扱い、輸入通関していたが、現在この航路は休止になっており、1日も早い再開が望まれている。

 鹿児島支店、志布志支店ともに飼料の輸入取り扱いが多く、輸出が少ないのが現状だが、コンテナ施設を有する志布志港においては、帰りの空のコンテナを有効利用して輸出をもっと増やしていきたいと努力している。

 上組では、これからも本県の主要産業である畜産業の発展のために、良質な配合飼料の安定供給に貢献するともに、さらによりよい物流サービスを構築し、飼料以外の輸出入貨物の推進を図っていきたいと考えている。

マトヤ技研工業㈱

会員者情報

企業名 マトヤ技研工業株式会社
所在地 曽於郡末吉町南之郷3050-6
電話 0986-76-0018
名前 代表取締役 益留 福一 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2003,7月号掲載)

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 マトヤ技研工業株式会社の創業は昭和60年6月、益留社長36歳の時であった。
 生まれも育ちも曽於郡末吉町。大阪で働きながら、大阪工業大学の夜間部を卒業。その後働いた会社で意気投合した仲間3人とこの会社を興した。
 平成2年に株式会社組織とした。地元に帰り、地元に貢献できる地域密着型の仕事を目指した。
自社ブランド製品は、殆ど鹿児島の一次産業がらみの製品である。
 地元企業の要請に応じて、あるいは提案型として自動省力機器の設計・製作及び販売を行っている。主要製品のミート用助骨剥離具「ミスターテンダー」は、若い男性でも大変な重労働となる豚枝肉の肋骨剥離作業を、年輩者や経験の浅い職員でも簡単に肉から肋骨を剥離できる省力機械である。現在では国内の殆どの食肉処理工場でこの機器が使用されているが、おかげでこの製品は、平成5年に「かごしま産業技術賞奨励賞」を受賞する事となった。平成6年には「鹿児島県発明くふう展知事賞」も受賞した。
 その後開発した大腸切開機「ドームくん」は、平成7年に「鹿児島県発明くふう展・商工会議所会頭賞」、平成8年には「第4回かごしま産業技術賞」を受賞する。
 また、ミート用肩胛骨剥離具「ミセスイージー」も平成8年に「鹿児島県発明くふう展・発明協会支部長賞」を受賞している。
 鶏卵用モールドトレイローダ「ハックリくん」も開発・販売している。
 これからは、地場産業と地域環境に着目した機器の開発も手掛けたいと考えている。
 さて、台湾、フランス、韓国、カナダ、オーストラリアなど海外にも製品を輸出し、現地で好評を得ている。最近は、中国からの引き合いもあったが、SARSの影響で今のところ、話が頓挫している。ただ、中国に製品を出した場合、コピーされるのではないかという心配もある。ホンダなどの大会社も手こずっているというくらいなので、特許をとっても、抑止効果があるかどうか疑問だ。
実際、韓国では当社製品のコピーものが、公然と出回っている。モノが同じなら、日本から輸入するよりも安く出仕入れることが出来るため、海外からの引き合いは、コピー製品の方が多いだろう。
 本当に商売しようと思うなら、今後はやはり中国で勝負するのが一番だとは思うが、コピーされるのを覚悟の上で販売しなければならない。近いうち、日本で特許申請すれば、世界中で認められるようになるようだが、そうなれば、海外展開もより積極的に出来るだろう。
 海外進出については、都城の工業クラブ主催のミッションに参加し、上海近郊に進出している同クラブメンバーの現地会社を見学してきたことがあるが、マトヤと関連のある京セラやナショナルなども既に上海に進出しているので、出ていこうと思えば可能性はあると考えている。
 ということで、鹿児島の超優良企業として、今後に大いに期待するところです。

㈱有村屋

会員者情報

企業名 株式会社有村屋
所在地 鹿児島市南栄3丁目24-5
電話 099-269-5711
名前 代表取締役社長 有村 興一 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2005,4月号掲載)

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左)興一社長    右)一喜常務

 今年で創立94年を迎えるさつま揚げの老舗「有村屋」の歴史は、大正元年に社長の祖父が蒲鉾店を創業したことからはじまる。昭和5年に社長の父盛吉氏が経営を引き継ぎ、昭和26年に有限会社有村屋本店を設立、昭和47年に株式会社となり社名を有村屋に変更した。かつては結婚式場も経営し、引き出物用に蒲鉾を作っていた。今の有村屋の商品の三ツ盃マークはその時のなごりである。
                         
 鹿児島市南栄の本社・工場のほか、鹿児島、宮崎、東京に10店舗を有し、従業員75名、年商10億円超と県内有数のさつま揚げメーカーとしての地位を占めている。興一氏は昭和47年に31歳の若さで社長に就任、今日に至っている。現在、長男の雅人氏がマネージャーとして東京での営業を、次男の一喜氏が常務として鹿児島の工場をそれぞれ担当し、社長を支えている。

 さつま揚げは、取れたての新鮮な魚をすり身にし、地酒などで味付けして油で揚げたものだが、藩政時代に琉球から伝わった中国料理の「揚げる」技法が古来からの蒲鉾作りの製法に加わって出来たと言われており、琉球の“チキアゲ”がなまって鹿児島では“つけあげ”とも呼ばれている。エソ、グチ、タラ、イワシなど原料となる様々な魚は水揚げされた港近くの委託工場ですり身に加工され、有村屋の工場には冷凍状態で届けられる。これらのすり身を練りつぶし、地酒、調味料などで味付け、にんじん、ゴボウなどの野菜を加えるなどした後、菜種油で揚げてさつま揚げが出来上がる。

 

㈱迫田

会員者情報

企業名 株式会社迫田
所在地 鹿児島市与次郎一丁目9-17
電話 099-255-9500
名前 代表取締役社長 迫田 博信 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2004,12月号掲載)

代表取締役社長 迫田 博信 氏

“もう、「家具屋」とは呼ばせない。” 今年で創業60年を迎え、10月14日に鹿児島市与次郎の本店をリニューアルオープンさせた迫田のキャッチフレーズである。同社は、これまでも鹿児島市南栄に「アウトレットX」、熊本県宇土市に「ファーニチャーモール・メガ」を創設するなど、家具を取り巻く環境変化を常に先取りしながら発展してきた。

 迫田の創業は昭和19年。現社長の父親の迫田繁治氏が都城市で個人経営の迫田木機製作所を創立し、21年に鹿児島市東千石町に移転、迫田タンス店として家具販売を開始。戦争末期、数度の空襲により市街地の多くを焼失した鹿児島市では、戦後、住宅建設が盛んで家具の需要も極めて高かった。当時の家具屋は、製造から販売まで一貫して行っており、最新型の木工工作機械を組み込んだ迫田の製造ラインは当時としてはめずらしく、全国から多くの視察者が訪れたという。

 昭和23年に株式会社組織に改組し、38年に社名を株式会社迫田に変更。この頃、伊集院工場では、フランスベッドが販売する二段ベッドの製造を一手に引き受けていた。43年からは応接セットを製造し、全国に卸すようになった。50年代になると産地間競争の激化に加え、海外からの製品輸入も増加したことから、国内の家具産地が次々と消滅した。鹿児島の場合、革やウレタンなどの原材料調達の面で他産地に比べ厳しい立地条件にあったことから、迫田は55年に製造部門から完全に撤退、販売専門となった。

 急速な車社会が進展する中で、迫田は天文館の本店を閉鎖し、昭和59年、鹿児島市与次郎に郊外型大型家具専門店をオープンさせた。創業39年目にして社運をかけた決断であったが、広い駐車場とゆったりしたフロアでの豊富な品揃えなどが消費者ニーズにマッチして、業績は活性化した。アウトレットXの誕生は平成7年。アウトレットとは、主にメーカーの格外品を安値で販売する小売業態で、当時の日本、特に家具の分野ではほとんど例がなかったが、バブルがはじけ、実質的な価値を尊重し始めた消費者の支持を得ることとなった。

 さらに平成10年2月、熊本県のほぼ中央に位置し交通の利便性に恵まれた宇土市に「ファーニチャーモール・メガ」をオープンさせた。8,000坪という広大な敷地に400台収容の駐車場を備え、売り場面積が3,000坪という日本最大級の家具専門店で、店内は複合商業施設のショッピングモールを思わせるようなゆとりの空間となっている。戦後最悪といわれた不況下での出店を不安視する声もあったが、オープン初日の来店者数が3万人を超えるなど駐車場は連日満車状態が続いたという。

 そして、この10月の与次郎本店のリニューアルオープンである。新しい売場は、1階が「インテリア雑貨・ファブリック類・照明」、2階が「リビング・ダイニング」、3階が「寝具、書斎、ホームオフィス」などとなっている。量販店とはひと味異なる薄型テレビや照明器具などの家電製品、デザイン性に優れた様々な小物や植物なども揃えて各部屋・空間毎にコーディネートされて展示され、また、音響メーカーのBOSEとの提携による試聴体験可能な音響ルームも備えている。顧客の立場に立ったとき、わかりやすくて楽しめる工夫が随所に演出され、冒頭のキャッチフレーズの意味が実感できる空間に生まれ変わった。

 現社長の博信氏は、大学卒業後フランスベッドに入社、昭和45年、父親の死去により25歳で副社長として迫田の経営を引き継ぎ、59年に社長に就任した。社長によれば、迫田で扱う商品の仕入先はだんだん海外にシフトしてきており、最近は中国・ヨーロッパ(デンマーク)が中心である。特に中国では近年、設備が近代化され、品質も急速に向上していることから、今後中国との取引は一層拡大していくと見込んでいる。もちろん日本でしか出来ない品物もあるため,取り扱う商品によって取引メーカーのすみ分けができつつあるという。

 最後に、今回の本店リニューアルについてお聞きした。これまで家具販売は住宅建設との連動性が極めて高かったが、少子・高齢化が進展し、住宅着工件数が確実に減少していく中で企業として生き残っていくためには、住宅建設とは必ずしも連動しない経営戦略が求められている。迫田が目指しているのは、家具販売中心で従来型の「業種店」から脱皮し、家電や小物類も充実させてライフスタイルを総合的に提案する「業態店」に転換することで、本店のリニューアルはその第一歩である。業態店への転換に必要なもう一つの柱が人材育成であり、顧客に満足していただけるサービスを提供できるよう、社員一人ひとりが感性を磨き、確かな商品知識を身につけるための社員教育の充実に全力で取り組んでいる。   
    
 (貿易ニュース鹿児島2004.12月号掲載)

㈱川原自動車部品商会

会員者情報

企業名 株式会社川原自動車部品商会
所在地 鹿児島市卸本町5-12
電話 099-260-2471
名前 代表取締役社長 川原 忍 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2004,6月号掲載)

代表取締役社長 川原 忍 氏

県内に70社ほどある自動車部品卸売会社の中で,売上高1位,九州でも2位という実績を誇る川原自動車部品商会は,昭和33年,知覧町で創業した。
 戦後,知覧で家具店を経営していた父親が事故で足を痛め,家具店の経営を断念。そのころ出始めた自転車オートバイに将来性を見出し,昭和28年に川原社長の兄(現会長)がオートバイ販売を始めた。
 5年ほど続けたが,下取りのある商売は利益を生みにくいと考え,昭和33年にオートバイ部品販売店として再スタートした。ちょうどホンダのカブやスズキのモペットという50ccのオートバイが出始めた頃である。当時は,県内の道路のほとんどは未舗装であったため,パンクや故障が多く,オートバイ部品がよく売れたという。昭和40年には鹿児島市に営業所を開設,42年には(株)川原自動車部品商会を設立し,兄が初代社長に就任した。
 愛知県の自動車部品メーカーに勤務し,これからは自動車の時代だということを肌で感じていた現社長は,鹿児島営業所開設と同時にUターンして同営業所の責任者(社長就任は平成3年)となった。また,株式会社となってからは,弟(現専務)も経営に加わって3兄弟体制になり,48年には鹿児島市卸本町に本社社屋を落成・移転した。以来,販売網を拡大し,現在では,県内の10営業所を拠点に,自動車整備工場,ガソリンスタンド,中古車センター,カーディーラー,タイヤショップ等を対象に自動車部品・用品,タイヤ,工具等を販売している。
 川原社長は,今後ますます高齢化が進む車社会において,車にたずさわる多くの皆様に,車の保守管理及びモラルの問題等を重視し,事故の無いよう各自の自主管理をお願いしたいと常々考えているという。
 さて,川原自動車部品商会と海外との関わりである。現在は,海外との直接取引は少なくなったが,昭和50年代には,中古部品を輸出したり,カー用品やアクセサリーなどを輸入しており,頻繁に東南アジアや台湾などに出かけていた。台湾から輸入した竹製のビーズクッションなどいくつかの商品は,全国的にも大ヒットしたという。また,このような商取引だけでなく,昭和59年には,飢餓に苦しむエチオピアで救援物資輸送にあたっていたトラックの修理用部品約7百個を贈って,現地から大変感謝され,当時の南日本新聞でも大きく取り上げられたこともある。
 川原社長によれば,厳しい競争に勝ち抜き会社を成長させるために心がけてきたことが三つある。ひとつは,今後顧客が何を求めるかなど常に時代の流れをよく読むこと,二つ目は,取引先との信頼関係を築くこと,三つ目が,社員が働きやすい環境を創ること。同社では,社員の住宅確保,年金基金への加入など福利厚生面には特に力を入れており,その結果,社員の定着率は極めて高く,約半数が設立当時からの社員であるという。
 豪放な中にも優しい心配りが感じられる川原社長,古くからの貿易協会会員として当協会に対する温かいアドバイスもいただいた。九州一の自動車部品卸売会社を目指して,一層の発展を期待したい。    
 (貿易ニュース鹿児島2004.6月号掲載)

志布志東洋埠頭㈱志布志支店

会員者情報

企業名 東洋埠頭株式会社志布志支店
所在地 曽於郡志布志町志布志3275-2
電話 0994-72-1771
名前 営業統括部長 川嶋 重夫 氏

インタビュー(貿易ニュース鹿児島2003,9月号掲載)

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今回は、国際物流拠点港湾「志布志港」に1986年7月に支店を開設された東洋埠頭株式会社志布志支店を訪問し,川嶋重夫営業統括部長にお話をお伺いしました。
 東洋埠頭株式会社は昭和4年の創業で,埠頭・倉庫業の大手として東京晴海に本社を置き,全国8箇所に支店を持つ。県内では,ほかに鹿児島港にも営業所をおいている。
 志布志港において,外国航路の代理店業務を行っているのは,現在のところ(株)上組と東洋埠頭(株)の2社だけである。東洋埠頭(株)は神原汽船(株)の中国・韓国航路,オー・オー・シー・エル(株)の香港・台湾航路,東京船舶(株)及びAPLの台湾航路のコンテナを取り扱っている。(株)上組では、民生輪船有限公司の代理店として大連,上海,青島への中国航路の貨物を扱っている。

 ところで,志布志港で扱う貨物の9割は輸入であり,アメリカ,カナダといった北米からの牧草が一番多い。2番目がオーストラリアからの牧草。3番目が中国からの稲ワラ。4番目が東南アジアからの飼料,雑貨等となっている。遠隔地の北米・南米・ヨーロッパやオーストラリアからの荷物は,台湾の高雄と香港でトランシップし,志布志に持って来ている。中国の稲ワラは,大連から釜山経由で入ってきている。
 反対に,香港・高雄・韓国の釜山といったハブ港を利用することにより,北極・南極以外は世界中どこへでも,志布志から荷物を送り出すこと,また持ってくる事ができる。
 特に輸入雑貨は,南九州では消費人口が少なくロットがまとまらないため,大きな消費地を控えた博多港からの輸入がかなり多い。また,鹿児島の場合は,貨物の量とIT産業が多いことから,どうしても航空貨物の利用が多くなってしまう。

貨物の取扱量を表すのにはTEUという単位がよく使われる。1TEUは20フィートコンテナ1本のことである。昨年の志布志港の貨物の取扱量は33,500TEUで,これは九州の港としては第3位の取扱量となっているが、1位は博多港で,生活雑貨品やイギリス・北米からのモルトの輸入,ブリジストンタイヤやホンダのオートパーツ,三菱の電気機器などの輸出が主なところで,約53万TEUの取り扱い,2位は北九州(門司を含む)で約30万TEUと,取扱量が桁違いである。ちなみに4位は伊万里で魚粉や大川家具関連などで22,300TEUとなっている。
 特徴的なのは,博多や北九州などは輸入・輸出のバランスがとれているのだが,志布志港は取扱貨物の90㌫強が輸入で,輸出は10㌫にも満たないと言うことだ。そのため,志布志で陸揚げしたコンテナを,旭化成関係のケミカル品の輸出が多い細島やCanonの輸出が多い大分にまわし,輸入の強い港と輸出の強い港をうまくつないで,コンテナ航路を維持する工夫をしている。それでコンテナ船は,まず輸入の多い志布志港に入港すると言うことになる。
 志布志で陸揚げされた貨物は,地元の大隅をはじめ,鹿児島市内,宮崎,都城へ,また定期航路で離島へも運ばれる。トウモロコシ,マイロ,メイズなどの飼料は国内船に積み替えて他の飼料工場などに運ばれることもある。
 昨年,オー・オー・シー・エル(株)が日・水の週2便になり,さらに今年6月からAPLも毎週火曜日に寄港するようになった。寄港回数が増えたため,徐々に取扱量は増えている。
 今年度の志布志港の取扱量は4月4,800TEU,5月4,000TEU,6月3,500TEUで,最終的に40,000~45,000TEUくらいになり昨年を上回るのではないかと期待している。
 最近関わった例として,鹿児島相互信用金庫主催の海外ミッションで中国義烏市に同行したことがあるが,参加者のみなさんが購入した少量多品種の日用品雑貨を,個人の貨物利用のテストケースとして,コンテナ利用で混載して,持って帰ってきたことがある。
 こういったケースがうまくいけば,志布志港の取扱量もますます増えていくことになると思う。

さて,九州にはたくさんの港があり,生き残っていくためには世界の主要ハブ港に直結した航路を持つ港でなければならない。最終的に,九州にこのような港が東西南北に一つずつあればよいというような事になっても,志布志港は生き残れると確信している。更なる利用を増やすために,PRに力を入れて志布志港の知名度をだんだん高めていかなければならないと考えている。
 鹿児島は日本有数の農・畜産県であり,これまで培ってきた優れた関連技術やその中から生まれた類を見ない製品もあるようだ。例えば,焼酎滓やふん尿を処理してできる飼料や土壌改良材など,その技術と併せ,これを輸出につなげることができないかと思う。
 酪農や畜産,養殖など,鹿児島の産業には今後大きな可能性があると思える。

 最後に,川嶋部長が,横浜に勤務しておられる時の事,コンテナの中に密航者が潜り込んで入国し,後でコンテナにあいた穴でその中に密航者が居たことが判明したことがあったという。志布志ではまだそういうことはないとのこと。いずれにしても,志布志港は,世界各国と船で結ばれている。志布志町が,将来海外のどこかの同じような港湾都市と姉妹盟約を結ぶことがあれば,是非行ってみたいとのこと。

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